不滅のスター 李小龍伝説
天才子役から大スターに 赤ん坊で銀幕デビュー ブルース・リーは1940年11月27日に米サンフランシスコで生まれた。父親は広東オペラ俳優であった李海泉だ。父親の劇団が米国公演中だったため一家そろって米国で暮らしていた。
リーは幼いころから銀幕に縁があった。41年、米国でまだ赤ん坊だった彼は広東語映画『金門女』に出演。同年、一家は香港に戻った。50年に上映された『細路祥』に子役として出演したリーはその演技が絶賛され、これが彼にとっての出世作となった。翌51年の『人之初』でも「天才子役」と呼ばれ、演技力が高く評価される。リーはその後、18歳で渡米するまでの間に子役として数々の映画に出演した。
子供のころ父親から太極拳の手ほどきを受けていたというリーは13歳の時に「詠春拳」に入門し、鍛錬に励んだ。59年、18歳で米国に留学。リーは学生時代からカンフーを教え始めたという。62年に「振藩国術館」という道場を開設した。そしてこのころからさまざまな武術の長所を取り込み、リー自身の武道のスタイル「截拳道」(ジー・クン・ドー)を形成していった。 64年、リーは道場の名を広めるためロング・ビーチで行われた世界武術トーナメントのオープニングで演武を披露。これがテレビプロデューサーの目に留まり、65年にテレビシリーズ『グリーン・ホーネット』に出演することに。同作は香港では68年に放映され話題を呼んだ。
香港でアクション映画に 70年に香港に帰ったリーは71年に映画会社、嘉禾電影(ゴールデン・ハーベスト)と契約。同年に公開された『ドラゴン危機一発』が大ヒットし一躍時の人となったリーは、自らのプロダクション「協和電影(コンコルド・プロダクション)」を設立する。翌年の『ドラゴン怒りの鉄拳』でも興行記録を更新した。 こうして大スターとなったリーだが、73年7月20日に倒れ、亡くなってしまう。享年32歳。その1カ月後、『燃えよドラゴン』が公開されたとき、彼はすでにこの世に居なかったのである。
没後40周年展覧会 そのリーの没後40周年にちなんだ展覧会が沙田の香港文化博物館で開催中の「武・芸・人生—李小龍」だ。公共博物館の特別展示は長くても数カ月から半年ほどだが、この展覧会は多くの来場者を見込み、会期を異例の5年に設定している。 展示品はリーゆかりの品々約600点。リー自身による『燃えよドラゴン』のアクションシーンの手描きの絵コンテや、『死亡遊戯』で身に付けていた黄色のトラックスーツ、愛用のヌンチャク、プライベート用の眼鏡などが展示されている。また、華麗な脚技やヌンチャクさばきを再現した3Dアニメーションや、ドキュメンタリー作品『李小龍風采一生』などの映像作品も用意されている。 (資料と写真・康楽及文化事務署)
ビクトリア湾に面したチムサーチョイの星光大道(アベニュー・オブ・スターズ)にリーの銅像があることは非常に有名。毎日、多くの観光客がここで記念撮影している姿を見掛ける。この像は李小龍会が建造を呼び掛け、2005年11月27日に存命なら65歳を迎えるリーの誕生日に正式に建てられたもの。同年は中国映画誕生100周年にあたり、リーは香港電影金像奬委員会から「世紀之星」という栄誉ある称号を受けた。彼の香港映画界への貢献をたたえて、アベニュー・オブ・スターズで永久展示されることになったという。今回の「李小龍事蹟径」の開幕式もここで行われた。(所在地・尖沙咀海浜星光大道)
リーが59年4月29日に渡米するとき船に乗り込んだピアが当時、九龍地区最大規模のターミナルだった「九龍倉碼頭」。現在は「海運大廈(オーシャンターミナル)」となっている場所だ。それから13年後の72年3月、スターとなっていたリーは他のゴールデン・ハーベスト所属俳優とともにターミナルを訪れ豪華客船「コーラルプリンセス号」に乗船して参観。その帰りに海運大廈屋上の駐車場でたくさん写真を撮った。スーツにネクタイを締め、サングラスをかけたリーの姿は今も伝説となって語りつがれている。(所在地・海運大廈碼頭頂層駐車場)
佐敦のオースティンロードにある小学校。リーとその兄である李忠琛といとこの李発枝が通っていた。(所在地・柯士甸道103号)
リーの母校だが、彼自身はまじめに通わなかったので退学処分となってしまった。72年2月にリーの息子の李国豪(ブランドン・リー)が入学してからはリー自身がよく送り迎えするなど、優しい父親だったという。リーの没後は妻が同校にジム器材を寄贈したそうだ。(所在地・九龍塘喇 沙利道1号D)
リーの転校先で、59年に米国留学するまで通っていた。学校の成績は良くなかったものの、58年に学校を代表してボクシング大会に出場してチャンピオンになる栄誉をもたらした。73年3月に同校の運動会にトロフィーを渡すプレゼンターとして出席した際は大歓迎されたという。(所在地・大角咀詩歌舞街45号) ⑥青山禅院
香港三大古寺の1つで、ここでは映画『燃えよドラゴン』の撮影が行われた。同作での喬宏(ロイ・チャオ)との会話シーンや「Don't Think, Feel!(考えるな、感じろ)」のセリフで有名なラオ少年とのシーンが撮られた場所だ。記念碑とともに劇中のリーたちの姿を再現したパネルが置かれているので記念撮影するのもいいだろう。軽便鉄道(LRT)の青山村駅から徒歩ではかなり時間が時間がかかるが、タクシーで山門近くまで行くことができる。(所在地・屯門区青山東山麓)
香港にブルース・リーのファンが1995年に設立した「李小龍会(ブルース・リー・クラブ)」があるのをご存じだろうか? 同会の会長を務める黄耀強さんによれば、会員は香港はもちろん、日本など海外を含め600人以上いる。油麻地にある事務所には映画ポスターから写真集、国内外で出版された書籍、フィギュアまで、リーに関する資料やグッズが所狭しと並んでいるが、実はこれらは収蔵品のごく一部。黄さん自身が所有するリーに関する書籍は1000冊を超えているのだとか。一部の非売品を除き、事務所内のさまざまなグッズは購入も可能という。
また、ここはリーファンの集いの場としても活用されており、海外から訪れるファンが情報を求めてやって来る。同クラブでは交流会やゆかりの地を巡るウオーキングなど、随時イベントを行っている。会員になるには入会金(香港は1人200ドル、海外は1人500ドル)が必要とのこと。会員になるとメンバーズカードと記念品がもらえる。詳細は同店か公式サイトで確認しよう。
李小龍会(Bruce Lee Club) |
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