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最新号の内容 -20110325 No:1329
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香港の街角に残された歴史をたどる連載です。
(月1回掲載、文・写真/Hong Kong Master)
協力:「香港歴史散歩の会」E-mail:
mori2hk@gmail.com


第59回 観塘道(Kwun Tong Road)

観塘道は東九龍地区の主要道路の一つで、香港で最も道幅の広い道路となっている
北宋時代は塩の生産地 50年代は主要工業地区

 今回紹介するのは、七号幹線の一部にもなり、東九龍地区の主要道路の一つである観塘道だ。観塘地区と彩虹地区を結びつけ、西端は龍翔道、太子道東そして清水湾道とつながり、そして東端では鯉魚門道と連結している。

 この道は、一九五〇年代に建設され、今に至っている。啓徳空港の本格的運用が始まり、工場が空港周辺地区に集積した。物流インフラの環境をよくするために、この道路は年々拡張していった。現在、もっとも広い場所では、片側六車線、合計十二車線の道路幅があり、香港で最も道幅の広い道路となっている。

MTR観塘駅に隣接する大型ショッピングモールapm

 次に、この道路の名前になっている観塘について説明する。この地は、九龍五大地区の一つである観塘区の中心地となっている。この地区の歴史は古く、中国の北宋時代に直轄塩田地として塩の生産をする場所であった。そのため、「官富場(官=政府が富む場所)」と名前が付けられた。その後、気候の影響や遷界令(注1)の影響などもあり、塩の生産が一定せず、塩の大規模な生産は行われなくなってしまった。ただ、この場所の地名は、住んでいる住民から「官塘」(官=政府が塩をためておく意味)と呼ばれていた。その後、長きにわたって日の目を見ない地区であったが、香港政庁が一九五三年から一九五四年にかけて、主要工業地区として発展させるために資本を投下することなり、そのときに「観塘」という地名に変更された。さらに一九七九年、MTR最初の開通区間が観塘—石硤尾間であり、ますます人口が増加し発展するようになっていった。現在では主要幹線道路が走り、apmや徳福広場などの大型商業施設、東九龍の政府関係庁舎があり、行政の中心地となっている。工場の中国本土移転、そして旧空港が閉鎖された後、その地位は相対的に低下し、尖沙咀など九龍の中心から離れていることから長く発展しなかったが、新しいオフィスビルやショッピングモールの建設、市区重建局(URBAN RENEWAL AUTHORITY)による最大規模の観塘市中心発展計画(注2)、旧啓徳空港跡地再開発事業など、この地区を取り巻く発展計画環境は香港の中でも最も熱い視線を送られている場所だ。

雑多なお店が軒を連ねている「香港のハーモニカ横丁」

 最後にこの道路沿いにある主要建物について語っていく。まず最初に紹介するのは、大型ショッピングモールのapmだ。コンセプトは、amとpmを付け二十四時間(注3)いつでも楽しめるというものだ。「無印良品」や「吉之島(ジャスコ)」といった日系のお店が多数テナントとして入っているので日本人にはなじみやすい場所だ。次に紹介するのは、筆者が「香港のハーモニカ横丁」と呼んでいる、観塘道と裕民坊を挟むように建っている建物を紹介したい。この場所はビルの一階部分がハーモニカの口部分のように何本もの短い道がいくつもあり、その横丁には実に雑多なお店が軒を連ねている。わずか十メートルほどの通りだが、それが何本もあり、それぞれ違った雰囲気を楽しむことができるのだ。

 この観塘道は、MTR観塘駅を中心に同心円状に散策を楽しむのがいいだろう。駅中心にある未来的商業施設から、南側の工業ビル団地の景色、北側に広がる昔からの庶民の暮らしが見える街並み、そのどれもが香港のイメージを連想させてくれる。新しい香港のイメージを作り出しにぜひ訪れてほしいものだ。

注1…一六六一年に清王朝が実施した沿海部に住む住民を内陸部に強制移住させた命令。
注2…二〇〇八年に開始。五期に十二年をかけ、観塘駅北側にある裕民坊を中心とした場所を再開発する事業。約三百億ドルの予算がつけられている。
注3…深夜二時ぐらいまで営業している店はあるが、二十四時間営業ではない。