《100》深圳市30年の軌跡と奇跡 ~世界の工場から紅いシリコンバレーへ①

中国が現在の経済大国に至るまで、その成長を支えてきたのが、広東省深圳市である。対外開放の先行・試行地域として、多くの外資企業をいち早く受け入れ、世界の工場の礎を築き、今日では「紅いシリコンバレー」と呼ばれる、最先端の電子産業都市として発展を続けている。みずほ銀行(中国)深圳支店は今年、30周年を迎える。深圳市と、当地で中国ビジネスに取り組む日系企業とともに歩んだ30年を振り返りつつ、その軌跡と奇跡をたどる。

(みずほ銀行(中国) 深圳支店 中村朋生)

はじめに―深圳市の産業構造の変化―

日本では高度経済成長期から安定成長期へと移行していた真っ盛りの1980年、自動車の生産台数が世界一位となったほか、竹の子族やルービックキューブが世間をにぎわせており、華やかな様相を呈していた。かかる中、東シナ海の向こう中国では人口3万人に満たない小さな漁村が大きな経済圏へと変貌を遂げようとしていた。同年8月26日、全国人民代表大会常務委員会は国務院が提出した「広東省経済特区条例」を可決した。特区内で先行・試行的に対外開放を進めることを容認した同条例こそが、深圳経済特区の正式な設立と言われ、ここから現在まで、深圳市は試練と苦難を乗り越え、大きな成長を遂げてきた。

深圳経済特区の誕生から16年末までに、年平均GDP成長率は約28・0%、GDPの規模は約1万倍の1・94兆元と、2兆元に迫る水準に達している。その間、ペティ=クラークの法則(注1) に倣うように産業構造の転換も起き、80年には第一次産業28・9%、第二次産業26・0%、第三次産業45・1%であった比率が、20年後の00年には同0・7%、49・7%、49・6%と製造業を中心とした第二次産業のシェアが大きく増加している。さらに直近の16年はそれぞれ0・0%、39・5%、60・5%と、モノづくりの街からITや金融といった第三次産業が大きく伸びていることが分かる。市政府等は今後も持続的な経済成長、経済発展を遂げていくために、この第三次産業に注力することを表明している。その政策の中で、日系企業に何が求められるか考えたい。

夢を追った30余年の歴史―草創期・成長期―

まずは、深圳市がこれまでたどってきた軌跡について振り返りたい。

深圳市は、西洋が100年を費やして歩んだ道をわずか30余年の月日で駆け抜けてきた。その大きな成長要因の一つに香港の存在が挙げられる。80年の特区設立以降、90年代初期まで、主に加工製造業にウエートをおいて発展してきた深圳市だが、その原動力は主に外国資本、すなわち香港資本の力が大きかった。また、90年代以降は加工貿易における香港との協力・分業形態が構築され、「前店後廠(ぜんてんこうしょう) (注2)」と呼ばれる体制が生まれた。この時期の経済成長および産業構造の変化は、世界市場への窓口となる香港と、製造基地である広東省(または深圳市)が経済連携を強化した賜物であると言える。豊富な労働者の就業先を確保し、外貨を取得して国内経済の成長を後押しする一方で、外国資本により生産された製品を中国国内で流通させないことで国内産業を保護するという中国政府の思惑もあった。

その後、2003年には胡錦濤国家主席が深圳視察の際に「発展の加速、発展の率先、発展の調和」を指示した。これを受けた深圳市は「時間を惜しまない」「投資を惜しまない」をキーワードに「誰よりも先に行く」精神を築きあげ、発展を加速させることになる。さらに、特区設立30周年にあたる10年には再び同主席が視察し、「経済特区は引き続き発展のための努力を重ねるだけでなく、さらに良い結果を出していかなければならない。経済特区の大胆な模索や先行先試の精神、経済特区としての役割を発揮できるよう支持する」とたゆまぬ変革・挑戦を期待していることがうかがわれる。

一方、日系企業の挑戦は特区黎明期である80年代からスタートを切っているが、90年代前半まではその文化の違いに苦戦を強いられ、当時の駐在員からは「日本では1年で終わることも、2倍、3倍の時間がかかることも少なくない」と嘆く声も多かった。しかしながら、日系企業の深圳進出が最盛期を迎え、代表的なエレクトロニクス製品でもあるOA機器の完成品メーカーが深圳に出そろったのもこの頃であった。そのOA機器は14年には世界生産の90%を占めるようになったほか、携帯電話は約40%と着実にエレクトロニクスの街としての地位を築き上げていった。

飛躍に向けて立ちはだかる壁、更なる成長に向けた分水嶺―成熟期―

ところが、経済特区となって30周年を迎えた10年、リーマン・ショックを契機とした世界的不景気に見舞われる。また、人件費等の諸経費が増加して企業の収益を圧迫したことを受け、労働集約型の製造業企業を中心に「チャイナ・プラスワン」としてASEANへの製造拠点移転を検討する動きが広がる中、深圳市は以下3点により苦境からの脱却とさらなる成長を図る。

①新たな産業の柱と起業家の育成

安価なコストや完成されたサプライチェーンに訴求力を見出す「モノづくり依存体質からの脱却」および「高付加価値・ハイテク産業、高機能サービス産業の確立」を図る。16年の深圳市の「都市成長競争力」は国内トップの評価となっている 。これは、外国投資家にとって魅力的であるだけでなく、新たな成長の柱を確立させ、その担い手となる「メイカーズ」、すなわち起業家を積極的に後押ししていることによるものと言えよう。

②自貿区を通した金融・物流業の振興

深圳市の経済成長や産業構造の変化を語るに、広東自由貿易試験区のうちの一つである「前海深港現代サービス産業協力区」の存在は重要なポイントとなろう。これは国が特定の産業を中心とした企業誘致と当該産業の発展を目的に創設した制度で、前海に進出した金融や物流、科学技術サービス、情報サービス分野の企業は税制面や金融面における優遇が享受できる。

この前海地区において1511月、官民共同組織である「前海金融革新促進会」が発足した。同区内の金融業界の資源を調整・統合し、共有プラットホームを構築するほか、同市における金融業の健全な発展を促進することが狙いである。また、16年2月には「一帯一路国際シンクタンク連盟」が正式に発足しているが、発足に合わせたシンポジウムの中で、深圳市共産党委員会の馬興瑞書記(現・広東省長)は「前海深圳市・香港現代サービス産業協力区が一帯一路戦略の総合的な土台になる」ともコメントしており、中央政府レベルの政策においても、同市の金融業界に対する期待は大きいとみられる。なお、1612月現在で、同エリアへの登記企業数は12万社以上を数え、その投資規模は6・8兆元以上に上る。

③中資系・台湾系企業の台頭・躍進

ハイテク産業の成長という観点では、深圳市における大手中資系・台湾系企業の成長に触れないわけにはいかないだろう。IT関連では、16年に世界の携帯電話出荷台数第3位にランクインした通信・IT大手のファーウェイ(華為)は深圳市に本拠地を置くほか、同4、5位のOppo、Vivoといった新興勢力も近接する華南地域に本拠を構える。また、台湾系EMS世界最大手の鴻海精密工業など組立加工メーカーやサプライヤーの多くも、ここ深圳市が主な製造現場となっている。

さらに、深圳市東部に本社を置くBYD(比亜迪)は、グループ各社を通じて二次電池、携帯電話用バッテリーなどのIT関連部品を展開している。特に近年は得意分野である電池事業のノウハウを生かし、自動車事業に参入を果たしており、08年には世界初の量産型プラグインハイブリッドカーを発売。足もとはエコ重視の趨勢に適応し、次世代エネルギーの分野で新天地を開拓している。同じく深圳に本拠を置くテンセント(騰訊)は、中国で爆発的な人気を誇るインスタントメッセンジャーアプリ「微信(We Chat)」を提供するほか、ゲームなど新しいサービス分野にも事業を拡大し、今や世界有数のIT企業として注目を集めている。

上述のように、深圳市における新興企業の誕生と関連するIT産業の発展、育成を可能としたのは、そうした新産業や新たなメカニズム、新サービスを創造する際に不可欠な絶好のインフラが整備されていたためである。深圳市はいち早く、単なるモノづくりによる成長は限界を迎え、高付加価値かつ創造性に富んだ産業・分野が求められることを見越し、これまでに培った技術力やインフラを生かした成長戦略に舵をきったと言えるだろう。言い換えれば、深圳市に拠点を置く各企業がさらなる成長・発展を目指すには、市政府の戦略と展望を把握し、従前のビジネスにこだわらず、柔軟な発想と斬新なアイデアをもって臨むことが必須となろう。

(つづく)

・注1:経済発展に伴い、第一次産業のウエートが下がり、第二次産業、第三次産業のウエートが高まること。

・注2:香港を経営、貿易、管理拠点に、中国を製造拠点とする明確な住み分けを行った加工貿易ビジネスモデル。

(このシリーズは月1回掲載します)

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