119回 初選(予備選挙)
立法会の補欠選挙
非親政府派が候補一本化
香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。
(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)
多様化で10年ぶりに予備選挙
正式候補を選ぶ「予備選挙」
今回のキーワードは「初選」です。これは香港の選挙において、民主派の間で時に行われている、独特のアレンジです。
3月11日、立法会の補欠選挙が行われます。今回の選挙の対象は、普通選挙枠の香港島・九龍西・新界東の各選挙区と、職能別選挙の建築・測量・都市計画・園芸界の、合計4議席です。2016年9月に当選した議員が、就任宣誓を正しく行わなかったとして議員資格をはく奪され、空位となった議席を補うのがこの選挙の目的です。
周知の通り、香港立法会の政治勢力は主として親政府派と非親政府派(民主派・自決派・本土派)の2つに分かれますが、それぞれの勢力内部には、かなりの数の小規模政党が存在しています。立法会議員選挙は小政党に非常に有利な比例代表制をとっています。現在、5つの選挙区の議席数は、最少の九龍東で6議席、最多の新界東・新界西はそれぞれ9議席ずつありますので、多数の政党が候補者を立てても、いずれも複数の当選者を出すことが可能です。一方、補選で定数が1しかない選挙となりますと、当然ながら、候補者が乱立すれば共倒れになってしまいます。
そこで民主派が採用するのが「初選」という方法です。立候補の意思を持つ複数の民主派の候補について、世論調査や、有権者の予備投票などを組み合わせて公開の「人気投票」を行い、その勝者を民主派の統一候補として選挙に擁立するのです。
「初選」が初めて実施されたのは、2007年の立法会補選の際でした。民建連の馬力・議員が死去したことに伴い実施される補選に、民主派から陳方安生・元政務長官と、社民連の労永楽氏が出馬の意思を示しました。民主派は「初選」を行い、結果的に陳方氏が勝利したため、民主派は陳方氏を唯一の候補者として選挙に擁立し、本選挙でも勝利した陳方氏は立法会議員となりました。
予備選挙は、本選挙を前に候補者に関する報道が大きく増えるきっかけを作り、宣伝効果もありますが、コストも高く、また、各党の利害から実施方法についても対立が生じやすく、2012年の行政長官選挙で民主派候補の絞り込みに用いられたのを最後に、実施されてきませんでした。しかし、今回は民主派に自決派・本土派が加わるなど、非親政府派の内部がさらに多様化し、候補者を絞り込むため10年ぶりの「初選」を実施することになったのです。「初選」には九龍西で3名、新界東で3名が立候補しました。
出馬資格取り消しという新たな変数
1議席を争う補選は、事実上小選挙区制の選挙です。香港立法会議員選挙では、通常有権者の55~60%程度の票を非親政府派が取るとされますので、小選挙区なら非親政府派が圧倒的に有利です。実際、返還前最後の立法評議会議員選挙の際には、パッテン総督の改革によって普通選挙枠で小選挙区制が採用され、民主派が大勝利を収め、立法評議会の過半数を獲得しました。返還後過去4回行われた立法会普通選挙枠の補選では、民主派が全勝を収めています。したがって、「初選」によって、非親政府派の唯一の公式候補として出馬することは、実質的には議員の座にかなり近づいたことを意味します。
しかし、今回の補選には、「出馬資格取り消し」という新たな変数があります。2016年の立法会議員選挙の際、出馬手続きをした者のうち、6名が「香港独立派」と見なされ、出馬資格を無効とされる前代未聞の事件が起きました。特定の政治思想を持つ者を、行政が予め選挙から排除する状況が、前例として存在しているのです。
今回の「初選」には、中央政府からは「独立派」と見なされがちな自決派に近い者や、「雨傘運動」で活動した者も多数立候補していますし、香港島選挙区については、非親政府派は「初選」をせず、候補を自決派・香港衆志の周庭・常務委員に一本化しています。仮に非親政府派が候補者を一人に絞り込み、その唯一の候補者が出馬資格取り消しをされた場合、補選から非親政府派候補が消えてしまうこともあり得ます。それを防ぐには「補欠」を立候補させることが必要ですが、せっかく「初選」で候補を絞ってもその候補が出馬できないとなれば、有権者に混乱が生じかねません。
親政府派に不利な日程
そこで、出馬資格取り消しを政府が行うかどうかがポイントとなります。このことは、林鄭月娥・行政長官の政府が、非親政府派に対してどう臨むのかの試金石ともなります。香港独立問題に対しては、林鄭長官はかつて、梁振英・前長官の強硬な対応に疑問を呈してもいます。長官交代とともに「超強硬路線」は去ったのか、それともすでに資格取り消しが「制度化」されたのか、この補選で明らかになります。
補選については、政府はすでに一つ非親政府派に「譲歩」をしています。それは補選の日程です。宣誓問題で補選が必要になった欠員は合計6議席で、それぞれ香港島の羅冠聡、九龍西の游蕙禎・劉小麗、新界東の梁頌恒・梁国雄、そして職能別選挙の姚松炎の各氏です。つまり、九龍西と新界東については2議席を選挙する必要があるのですが、政府は親政府派の求めにもかかわらず、この2議席を同時に選挙することはなく、1議席ずつ2回に分けて選挙することとしました。議席の空位が確定してから、すなわち6人の敗訴が確定してから選挙をするという判断をしたため、終審法院まで争う梁国雄・劉小麗・両議員の補選を後にしたためですが、仮に2議席を同時に選挙すれば、恐らく確実にそのうち1議席は親政府派に行くと考えられましたので、この日程は親政府派に不利です。さらに、3月11日の投票日は、北京での全人代の開催期間中に当たり、選挙直前は親政府派の大物多数が北京に赴き、選挙応援が不可能となります。この日程に親政府派は不満を感じています。
出馬資格や議員資格の取り消しは、国際的にも批判され、香港の司法界からも疑問視されました。林鄭長官が目指す政治的雰囲気の緩和のためには、公正な選挙を実施することが上策であると筆者は思います。
(このシリーズは月1回掲載します)
筆者・倉田徹
立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、03年5月~06年3月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞