〜女性や若者たちの新風〜
9月17日に投開票されたマカオ立法会選挙は、香港と並ぶ一国二制度下の議会選挙である。珠港澳大橋や軽軌鉄道で、香港や日本とも密接な関係があるマカオ。注目の選挙戦を現地で見た。(文・写真 和仁廉夫)
もうひとつの一国二制度
両岸四地という言葉がある。中台の両岸に香港・マカオを加えた言葉だ。マカオは16世紀半ばの大航海時代にポルトガル人が入植し、のちに植民地となったが、住民の多数は広東語を話す中国人で、香港ドルが遍く通用するなど香港とも関係が深い。
香港との違いは、1966年に起きた一二三事件に求められる。中国文化大革命に連動した住民たちの反植民地闘争に応え、人民解放軍は実力でマカオを回収する動きを見せたため、マカオ政庁は早々に白旗を上げた。1967年の香港暴動がイギリス官憲の武力弾圧で収束した香港では左派の威信が低下したが、マカオでは植民地当局と中華総商会(地元財界)との蜜月が始まった。
1999年12月20日、マカオはポルトガルから中国に返還されたが、その後も中ポ関係は安定しており、マカオは「一国二制度の優等生」と言われる。
このようなマカオで政治や社会運動で身を立てるのは難しい。従来、民主活動家の多くはマカオを脱出した。たとえば、梁國雄(長毛)と組んでデモの先頭に立ってきた四五行動の古思堯はマカオの労働運動出身だし、福祉専門家として名高い張超雄立法会議員(工党)もマカオ出身だ。このほか、香港財界・言論界にもマカオ出身者は少なくない。
マカオ立法会
1999年に制定されたマカオ基本法のもと、植民地時代から引き継がれたマカオ立法会は返還後6回目の改選期を迎えた。現行制度では、一院制の議員定数33人のうち、普通選挙にあたる直接選挙で14人、香港の職能団体選挙にあたる間接選挙で12人を選出。これに選挙後15日以内に行政長官が任命する委任議員が7人加わる。小さな改定はあったが、必ず親政府派が多数を占める仕組みになっている。
このため、住民の関心は直接選挙に集中するが、従来、投票率はあまり高くなかった。議会構成を見ると、金権選挙を展開するカジノ経営者の勢力が最強で、これに同郷会や街坊(町内会)などを基盤にした伝統左派が続く。1989年の天安門事件以後は、民主派も議席を得るようになったが、得票総数の6割近くを民主派などで占める香港とは異なり、マカオのそれは2割程度にとどまり、民主派が得られる議席は、呉國昌・區錦新ら数議席に留まってきた。
マカオ返還後、新たな民主派として脚光を浴びたのが新希望の高天賜だ。新希望はポルトガル人の血を引くマカエンセのエスニック政党だったが、公務員労組の支持を取り付け、四年前の選挙で高天賜と梁榮仔の二人を当選させた。
このため今回は、新希望も含めた野党が何議席確保するかに注目が集まっていた。
注目浴びた青年候補
返還後のマカオは、香港と同様、中国内地からの観光客の伸びが歳入を潤した。反面、中国富裕層の不動産買い占めで、住民は深刻な家賃高騰に直面している。また、中国内地からの労働者流入でホテルや建設現場の職を奪われ、「外労排斥」の労働運動が高揚するようになった。
2014年には、財界と癒着する政府高官に退職後の不起訴特権や高額の終身年金を与える離保法案が成立しそうになり、これに反対する反離保運動が高揚した。天安門事件以来マカオ史上最高の2万人のデモと、8000人の立法会ビル包囲で政府に法案を断念させた。これを組織したのが前出の梁榮仔であり、この運動で台頭した青年指導者が蘇嘉豪であった。
蘇嘉豪は大学院修士課程を修了してまもない26歳。留学中の台湾大学で学生たちが立法院を占拠したひまわり学生運動を経験。香港の雨傘運動にも参加した。マカオでは反離保運動以後、香港の民主党にあたる新澳門学社を事実上掌握。香港とは逆に、マカオではベテラン民主派議員の呉國昌や區錦新が組織から追い出された。
選挙期間中、筆者は下町の小公園で行われた呉国昌の夜間集会を取材したが、呉國昌は候補者の襷もかけず、ほかの運動員たちと一緒に椅子を並べていた。集会は名簿2位の梁博文候補の司会進行で始まり、パワーポイントを使って広大なマカオの埋め立て地が政府と癒着する資本化の利権になっている実態を告発。現在の立法会構成では、家賃高騰に苦しむ住民たち本位に埋め立て地を活用することはできない。このため、直接選挙枠を拡大して住民本位の立法会に変えなければならないと訴えていた。
選挙前の8月24日、マカオは半世紀ぶりともいわれる超大型台風HATOの直撃を受けた。目抜き通りの新馬路が水浸しの「ベネチアン」状態になり、気象局長が辞任する騒ぎになった。前出の蘇嘉豪候補は、当局の警報発令が遅れた「人災」だと訴えていた。
死者まで出した大災害に、マカオの警察消防はあまりにも無力だった。政府は人民解放軍に救援を要請したが、被災体験は選挙民の動向に大きな影響を与えた。
民衆意識の覚醒
マカオの選挙は両岸四地で最も地味で静かな選挙だ。ポスターは公営掲示板のみしか貼れない。選挙集会も指定された公園でしかできない。候補者らの写真入り看板を装てんしたトラックや、運動員の配るチラシを受け取らない限り、選挙中とは気づかないだろう。さらに投票前日には、「冷静日」と呼ばれるマカオ独自の選挙運動禁止日があり、選挙運動はいたって低調に見える。
それでも9月17日には、登録された30万人余りのうち58%の有権者が投票所に向かった。台風HATOの被災で政府の当事者能力の欠如を痛感した住民たちは、中国内地と連携して救援に奔走した伝統左派や、政府の失政を批判した民主派などに投票。話題の蘇嘉豪をはじめ、高天賜、區錦新、呉國昌の新旧民主派が議席を確保したほか、過去2回苦杯をなめてきた林玉鳳も初当選し、在野勢力は過去最高の5議席を獲得した。
林玉鳳は報道記者出身で、現在はマカオ大学教授でメディア論を講ずる。8年前から公民監察を立ち上げ立法会選挙に挑戦しつづけてきたが、地盤のマカオ大学のあるタイパ島では高い得票を占めるが、有力候補ひしめくマカオ半島部に弱く、過去2回は当選に届かなかった。中国とも良い関係の彼女は、自らを親政府派でも民主派でもない中間派と位置付けている。
あおりを食らったのが財界派政党だ。カジノ王何鴻燊(スタンレー・ホー)の第四夫人梁安琪が率いるマカオ発展新連盟は得票を大きく減らし今回も1議席止まり。ほかの政党も2〜3議席目を取りこぼし、直接選挙枠で親政府派は9議席にとどまった。
マカオ立法会史上最年少の26歳で初当選を果たした蘇嘉豪は、従来は非公開だった議会の専門委員会公開など、議会改革を強く主張してきた。だが、多数を占める親政府派議員とどうわたりあえるのか未知数なうえ、選挙戦終盤には彼の政治経歴から香港独立派や本土派との関係を報道された。本人は「急進派」イメージの払拭に懸命だ。
すでに23条(国家安全条例)が成立しているマカオに、「急進派」の生存空間はない。また、公民監察の林玉鳳の場合は、逆に「隠れ親政府派」の烙印が押されがちだ。
若い二人がマカオ立法会で役割を果たせるのか。真価が問われるのはこれからだ。
筆者・和仁廉夫(わに・ゆきお)
1956年東京生まれ。香港で第2次大戦期の日本占領史跡などを扱った『歳月無聲』(花千樹出版・中文)を出版。中国ミスコンに関しては、「広州『姿』本主義〜香港返還もう一つの意味」(霞山会『東亜』2009年9月号)がある。