香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。
(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)
黄之鋒氏らに禁固刑
1年前と大きく異なる判決
過激行動の抑止へ司法が役割
相次いだ厳しい判決
今回のキーワードは「阻嚇」です。威嚇して阻止するという言葉ですので、日本語では「抑止」と訳すのが適当でしょう。この言葉は、8月15日と17日、高等法院で相次いで出された判決文に登場しました。
2014年6月、新界東北開発計画に反対する急進民主派の活動家らが、立法会に突入して逮捕される事件が発生しました。去年2月の一審判決では、立ち退きを迫られる村民のために起こされたこの行動を、裁判官は「他者の権利のために声をあげたことは間違いと言うよりも良いことであった」と評価し、13名の被告に対して80時間から150時間の社会奉仕という軽い判決が下っていました。しかし、政府は量刑不当として、高等法院に上訴しました。高等法院は8月15日、志のある若者を牢につなぐことは法廷の本意ではないが、同種の犯罪を「阻嚇」する必要があるとして、12人を禁固13カ月、1人は同8カ月に処すという、厳しい判決を下しました。
その2日後、2014年9月26日の「公民広場突入事件」に関する判決が下りました。この事件は、行政長官選挙に事実上民主派の立候補を不可能とする全人代常務委員会の決定に抗議して開かれた集会で、当時の黄之鋒・学民思潮召集人、周永康・学連秘書長、羅冠聡・学連常務委員が、集会参加者とともに政府庁舎前の広場に強行突入し、逮捕されたものでした。黄之鋒氏らの逮捕は社会に大きな衝撃を与え、「雨傘運動」の導火線となりました。去年8月の一審で、裁判官は、意見を表明したり、社会への関心を示したりするために犯された罪は寛容に処理するべきとして、周永康氏に執行猶予つきの判決、他の2名に社会奉仕令を下しましたが、政府が上訴していました。二審判決では、高等法院は「社会にはゆがんだ空気が蔓延しており、一部の有識者が法を犯して義を実現するとのスローガンによって、他人が法を犯すことを促している」と強く非難し、「阻嚇」力のある判決を出す必要があるとして、黄之鋒氏に6カ月、羅冠聡氏に8カ月、周永康氏に7カ月の禁固刑を言い渡したのです。
法廷の「忖度」?
これらの判決については、様々な角度から議論ができそうです。まず、なぜ同じ事件について、1年前とこれほど異なる判決が出たのかという点です。
黄之鋒氏らへの量刑を大幅に変更する判決において、法廷が使ったキーワードも「阻嚇」でした。高等法院の裁判官は、一審判決が「阻嚇」の要素を全く考えていなかったことは間違いであると批判しています。確かに、「雨傘運動」の後、2016年には暴動罪が適用される旺角での騒乱が発生するなど、過激な社会運動が目立つようになりました。これを「阻嚇」するために法廷が役割を果たすべきとの意見は、少なからぬ市民が持っています。
一方、判決に影響を与えた要因は、恐らく別のところにもあります。2つの案件の一審から二審の判決の間に起きた司法界最大の事件は、2016年11月の全人代常務委員会による基本法解釈でした。立法会議員の就任宣誓の方法に関する解釈は、結果的に6人の議員の資格取り消しに到りましたが、法解釈によって判決を左右されたり、果ては覆されたりすることは、司法の独立の危機の印象を外に与え、裁判官の能力や権威にも疑いを持たれますし、裁判官は人事の面で政治的圧力も感じることでしょう。2016年5月、張徳江・全人代委員長は香港訪問の際、司法機関が違法行為を容認しないよう求めています。翌6月、馬道立・終審法院首席法官は、香港の裁判所が直面する試練は史上に例を見ないものであると発言し、物議を醸しました。
こうした状況において、裁判所にとって「安全」なのは、北京の意向を「忖度」し、基本法解釈を必要としないような判決を、先回りして出してしまうことです。基本法解釈や指導者からの非難など、香港の司法の政治的な危機を表面化することは、これによって避けられます。最近、社会運動に関わる人たちからは、こうした裁判所の「忖度」の存在が疑われているようです。しかし、仮にそれが事実であるならば、まさに政治によって司法が「阻嚇」されたということになるわけです。
「阻嚇」の効果はいかほどか
そして、判決が目的とするところの、違法行為の「阻嚇」の効果がどの程度のものになるかが、またもう一つの注目点です。
すでに旺角騒乱では多数の長い禁固刑判決が出ていますし、これらは確かに過激行為を「阻嚇」するものとなっているでしょう。独立を支持する者は、世論調査でも急速に減っています。この先、セントラル占拠を提唱した戴耀廷・香港大学副教授らや、旺角騒乱の首謀者と見なされた本土民主前線の梁天٥a氏らには、さらに重い刑が予想されます。今回禁固刑を言い渡された者たちは、いずれも5年間選挙に出馬する権利を失います。知名度のある指導者を多数失った急進民主派・自決派・本土派への打撃は極めて大きなものです。
他方、ニューヨーク・タイムズなどで「政治犯」とも非難されるような判決が出たことは、国際的な関心も呼びますし、活動家らへの同情も集まるかもしれません。そもそも、運動の基本理念である「市民的不服従」は、活動家が違法行為への代償を払うことで完結するものです。黄之鋒氏は、周辺諸国の民主化の過程で、投獄なしで済んだ例はないとして、覚悟の上で服役していますし、彼らの家族も、彼らの行動を支持し、政府を非難する声明を出しています。
そして懸念されるのは、ここまで林鄭月娥・行政長官が続けてきた和解路線が受ける影響です。今回の裁判では、袁国強・司法長官が、上訴を強く主張したとも報じられました。超強硬路線で政治問題を頻発させた梁振英・前行政長官の路線を改めるのが林鄭長官の政治姿勢でしたが、梁長官時代から続投する袁長官が強硬な態度を続ければ、新政府のソフト路線が疑問視されます。司法が思うような「阻嚇」の政治的効果をもたらすことができるかどうかは、結局のところ、政府の能力にかかっているように思えます。
(このシリーズは月1回掲載します)
筆者・倉田徹
立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、03年5月〜06年3月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞