劉頴鏇さん

米国育ちの香港小姐

学生時代バスケットボールの選手だった故の、ご覧の通りの迫力ボディ。2016年9月11日、香港将軍澳のTVB第一スタジオの特設ステージで、筆者撮影

 今年開局50周年を迎えるTVB(無線電視)の香港小姐(ミス香港)は1973年に始まり今年で45回目になる。昨年に復活した香港先生(ミスター香港)は早くも中断し、今年は香港小姐の単独開催。二度の面試(オーディション)で總決選に進む12強が決まり、7月末から台湾で外景拍撮(プロモーション撮影)が始まった。台北郊外の北投温泉では、報道陣に初めて泳装(水着姿)も公開された。

 いっぽう、長年主催してきたATV(亞洲電視)の放送終了で途切れたかと思われた亞洲小姐(ミスアジア)だが、中国本土の企業に開催権を買い取られ、2016年には広東省珠海市で全国校園賽(ミス・キャンパス)として復活した。今年は中国全土50か所以上で予選大会を催し、上海で總決賽を予定しているという。毎年連続して安定したミスコンの催行が珍しい中国にあって、過去28年間続いた亞洲小姐の知名度は抜群。中国のあまたある企業が賛助公司(スポンサー)に名を連ね、賞金総額6千万元が予定されているという。

 毎年ミスコンの主催者が努力しているのが選手層の厚みを確保することだ。香港小姐の場合、人口7百万強のなかから高水準の選手を揃えるのは並大抵のことではない。2016年の場合、亞軍(准ミス1位)の劉頴پa(ティーファニー・ラウ)さん(写真)は米国籍、季軍(准ミス2位)の陳雅思(ボニー・チャン)さんはカナダ籍。海外の華僑華人のミスコンなどに網を張り、香港ゆかりの美女を掘り起こしてきた。

總決選の幕が下りた直後に開かれたプレス向け撮影会でほほ笑む劉頴鏇さん。筆者撮影

 今回ご紹介する劉頴鏇さんの場合、高校時代からカリフォルニア州のバスケットボールの名選手として知られていた。運動神経は抜群で、總決選に残った10人の選手の中でも身長や体格が抜きん出ていた。米国のカリフォルニア大学を卒業後、香港小姐に応募。亞軍の栄誉に輝き、TVB専属タレントとして現在に至る。
(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・和仁廉夫(わに・ゆきお)
1956年東京生まれ。香港で第2次大戦期の日本占領史跡などを扱った『歳月無聲』(花千樹出版・中文)を出版。中国ミスコンに関しては、「広州『姿』本主義〜香港返還もう一つの意味」(霞山会『東亜』20099月号)がある。

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