中国舞踏で魅せた実力
前回「ワケあり美女」と紹介した日中混血児の工藤祐采(ゆとり)さんの素性を、香港メディアが激しく報じている。報道によると、彼女の本名は大谷美樹で、香港東急百貨店幹部の大谷裕志氏と香港女性孫秀芸さんとの間に生まれた。父母共に亡くなったというのは嘘で、父親は彼女が生後10か月の時に母子を捨てて帰国したという。美樹さんは女手一つで育てられたが、2009年7月25日に元朗で起きたミニバス事故で孫秀芸さんが亡くなったため、高校卒業後は「MIKI」の名前でモデル活動を開始。一人で生活してきたという。
その大谷裕志氏を直撃した。大谷氏は既に東急百貨店を離れ、東京郊外で訪問介護などを手がける福祉事業所の所長になっていた。1987年から94年にかけては尖沙咀にあった香港東急百貨店でアパレルを担当しており、孫秀芸さんは彼の部下だったという。だが、母娘との関係については明言を避けた。
大谷氏によると、東急百貨店は単身赴任を認めていなかった。だとすれば、現地妻と娘の存在が発覚して帰国させられたとすれば、報道と帰国時期は見事に符合する。「これだけ実名で報道されているのに事実に反するなら、名誉棄損で香港メディアを訴えることもできますが」と水を向けても反応はない。すでに白髪混じりになった大谷氏だが、「人生。いろんな事があるもんですな」という意味深長なお言葉を頂戴し、私はその場を辞去した。
さて、娘(?)の工藤祐采こと大谷美樹さんが活躍した2018年香港小姐競選(ミス香港)で筆者が最有力に推したのが写真の>H卓殷(アンバー・タン)さんである。惜しくも亞軍(准ミス1位)と最上鏡小姐(ミス・フォトジェニック)のダブル受賞におわったが、才芸審査で魅せた中国舞踏は玄人はだしだった。当面は芸能活動をするようだが、香港大学建築系を卒業し、2017年には庭園設計で表彰を受けた才媛である。
(このシリーズは月1回掲載します)
筆者・和仁廉夫(わに・ゆきお)
1956年東京生まれ。香港で第2次大戦期の日本占領史跡などを扱った『歳月無聲』(花千樹出版・中文)を出版。中国ミスコンに関しては、「広州『姿』本主義〜香港返還もう一つの意味」(霞山会『東亜』2009年9月号)がある。