重陽節

重陽節
大きな「陽」が重なる日

重陽節の時期は秋の行楽シーズン。暑い夏が過ぎ、郊外でのハイキングを楽しむ人が増える

旧歴の9月9日(今年は10月17日)は「重陽」といい、五節句の一つに当たる。古来、中国では奇数は陽、偶数は陰と考え、奇数の月と日が重なると縁起が良いとされた。特にひとけたの奇数の中で一番大きな数字となる九の月と日が重なる9月9日は「重九」とも呼ばれた。「重陽節」という呼び名も一番大きな陽が重なることから付いたといわれている。

重陽節には昔から植物の 茱萸(シュユ)を身に付け、菊の花を浸した菊花酒を飲み、蒸し菓子を食べる習慣がある。これについては紀元前二百年、漢代の古文書 『西京雑記』に次のように記されている。

賈佩蘭という女性が宮廷を離れて民間に嫁いだ。賈佩蘭は毎年、九月九日に茱萸を髪に挿し、蒸し菓子を食べ、菊の花の酒を飲んだ。夫が尋ねると、「宮廷では9月9日はこのようにして過ごしていました。都の人々にもこのような習慣があります」と答えたことから、この風習が一般に広がったといわれる。

桓景の物語と魔よけ

昔の人は茱萸を身に付けると魔よけになると考えていた。これは重陽節と茱萸にまつわる有名な民間伝承に端を発する。

東漢(二五—二二〇年)の時代、費長房という男がいた。彼は神通力を持ち、雨を呼び風を呼び、神を遣わし、鬼を捕らえるといわれていた。汝南の地に桓景という青年がいた。桓景は費長房のうわさを聞き、山を越え河を渡り費長房を探し出し弟子入りを申し出た。費長房は桓景の決心が堅いことを見て取り、弟子として引き受けると技を教えた。

清明節に墓参りをしなかった場合は重陽節に行うのが習わしとされている

ある日、費長房は慎重な面持ちで桓景にこう言った。

「9月9日におまえの一家に災難が降り掛かる。早いうちに準備をしてお け!」

これを聞いた桓景はすっかり取り乱し、費長房に向かってなんども頭を下げ、災難を避ける方法を教えてほしいと頼んだ。費長房はしばらく考えた後で言った。「よろしい。お前は長年、私に付いて学んだのだから教えてやろう。赤い布で袋を作り、その中に茱萸を入れ、それを身に付けなさい。それから菊の花を浸した菊花酒を持って家族全員で高い所に登り、そこでその酒を飲みなさい。そうすればおまえの一家は災難から逃れられるだろう」

桓景は師匠の費長房に言割れた通り、9月9日の早朝に一家を連れて付近の山に登った。全員が首から茱萸を入れた赤い袋を下げ、山の上で菊花酒を飲んだ。

その日は何事もなく過ぎ、日が沈み夜になり、桓景と一家は家に戻って驚いた。牛も羊も鶏も犬も、家畜という家畜は皆死んでいるではないか。桓景と一家は、こうやって災難を逃れた。このときから「重九登高、效桓景之避災(重陽節に高い所に登り、桓景は災 難から逃れた)」と語り継がれるようになった。

重陽節の伝承に必ず登場する茱萸は、その香りが虫よけに効果を持つ。そこで、昔から端午節に魔よけとして戸口に掛けたショウブを重陽節には茱萸に換えてつるしたという。

重陽節は山登りのほかに、清明節と並んで墓参りをして祖先を尊び、供養する日とされている。墓参りは清明節が最も盛んで、この日は墓の掃除をして祖先を供養する日だが、清明節に墓参りをしなかった場合は重陽節に行うのが習わしとされている。
(この連載は月1回掲載)

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