市民に愛される一田百貨

 経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。
(インタビュー・楢橋里彩)


株式会社一田(YATA Limited
CEO 黄思麗(スザンナ・ウォン)さん

【プロフィール】
香港中文大学卒業。マッキンゼーとOC&Cといった国際的コンサルティング会社に14年間勤務し、特に小売り・消費分野を専門として豊富な経験を積む。2014年に新鴻基地産発展に入社し、非不動産業務のCOOに就任。16年に一田百貨のCEOに就任し現在に至る。


——日系デパート「一田百貨」として再スタートして早10年が経ちましたが、振り返っていかがですか。

 元々は1990年に開業した日系デパート「西田(香港のSEIYU)」が前身です。最初にオープンしたのは新界・沙田エリアでした。当時は日系のデパート、日本の食材を多く取り扱い販売する店舗は珍しい時代でした。2008年4月には名前も新たにリニューアルオープンとして「一田百貨(ヤタデパート)」をスタートしました。「YATA」というのは日本語の「やったー」という言葉が由来です。親しみやすく、なじみやすい響きということもあり、多くの香港市民に愛されるデパート、スーパーマーケットとして成長しました。この10年は香港経済の不安定な時期が続き、小売業もしばらく厳しい状況を強いられました。旺角暴動や深圳市民のビザ規制などで中国本土からの来店者数は少なからず影響は受けた時期もありました。それでも総体的にみて年々上向きです。現在、デパート3店舗、スーパーマーケット8店舗を展開していますが、昨年の売り上げは前年比2割増しです。目標としている主要顧客層は2545歳、主に日本の食文化を好んでいる方たちです。昨年は香港から日本への旅行者数が230万人を超えました。人口750万人なので単純計算でも3、4人に1人は日本へ行っています。香港人の特質とも言うべきことが「目新しいものを好む」「世間にあまり知られていない場所に行く」というもの。我々も常に飽きのこない空間をご提供できるように努めています。

——印象的に残ったのが今年1月の葵芳店のオープン記念で開催された京都フェアイベントです。連日大盛況でしたね。

 お陰様でとても盛り上がり、初日から多くのお客様がお越しくださいました。葵芳店のオープン時に開催したイベントでは、一田と京都府、京都府農林水産物・加工品輸出促進協議会、(公財)京都産業21が主催した「YATA Kyoto Fair 2018」が1カ月ほど開催されました。「京みず菜」「九条ねぎ」をはじめとした京の伝統野菜や京都産和牛「Kyoto Beef 雅」「丹後ぐじ」等の水産物や日本酒、地ビールなどが出展しました。京都は香港人にとってとても人気のある観光地ではありますが、こうしたフェアを通して新しい京都を知ることができたという喜びの声もお客様から多くいただきました。私たちが常に心掛けているのは日常生活に日本の食文化があふれる、お求めやすい値段で買い物を楽しんでいただける空間です。リーズナブルな値段が実現している背景には直輸入品の比率を高めていることなどがありあります。

——日本各地のプロモーションはとても積極的に行っているようですね。

 店舗によりますが半年に1回は日本の各地の食材プロモーションフェアをしています。47都道府県の地域が重ならないように、それぞれの店舗でお楽しみいただけるよう工夫しています。特に売り上げが伸びるのは、主要都市よりも、地域性を感じられる地方の食材ですね。私自身もプライベートで日本には年に5回行くので、その際に珍しいもの、香港で食べたことがないものを見つけたら、フェアなどのイベントが実現ができないか現場で交渉することもあります。一田で購入していただいたのをきっかけにその土地に行って本場のものを食べてみたいと、観光に繋がるのが近年増えているのは嬉しいですね。

——開業時に比べ日本に関する情報は深まっていると思いますが、改めて御社のビジネス戦略についてお聞かせください

 確かに大きく変わりました。当初はデパートからスタートしましたが、現在11店舗展開している中でさらに強化していきたいのはスーパーです。香港も高齢化、少子化問題はあります。市場の縮小傾向のなか、どんな商品が求められ、どんなものが受け入れられるか。人口の変化、IT 技術の進展、グローバル化の加速など、外部環境が急速に変化していく中、弊社の強みを最大限に発揮し、消費者へのニーズを高めていくか、課題はあります。

(この連載は月1回掲載します)

【楢橋里彩】
フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。
ブログ http://nararisa.blog.jp/

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