長洲太平清醮
毎年初夏、長洲島では海賊に殺された人々の霊を鎮めるため「長洲太平清醮(まんじゅう祭)」が開催される。
長洲島の「長洲太平清醮」は十八世紀に始まったとされる。由来は海賊の張保仔に殺された島民の霊が迷って出てくるのを鎮めるためという説が有力だが、他にも北帝の誕生日を祝う、疫病を払うためなど諸説ある。
祭は7日間行われる。霊たちを鎮めるため饅頭(まんじゅう)で作った高い塔を建て、紙で作ったお金や家を燃やし、チャイニーズオペラが演じられる。獅子舞や歴史上の人物にふんした子供たちを細い棒の上に立たせた「飄色」と呼ばれるパレードが島内を練り歩き、島はお祭りムード一色に染まる。
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長洲島は、その形が鉄アレイに似ていることから「唖鈴島」とも呼ばれ、古くから漁業の中心地として栄えた。人口は約2万3500人で、香港の離島の中では最も多い。メーンストリートはフェリー乗り場のある埠頭を中心に、海沿いに左右に伸びた商店街と海鮮料理店が並ぶ通りで、その一角や埠頭わきではベンチや階段に腰掛けたお年寄りの姿が目立つ。普段はいたってのどかなこの島だが、まんじゅう祭の期間中は観光客でごった返す。
特に祭りの一番の呼び物、「搶包山(まんじゅうレース)」が行われる日は、1年で最も島が活気づく時だ。長洲太平清醮がまたの名を「まんじゅう祭」と呼ばれるゆえんは、奉納されたまんじゅうが人々に配られることからだが、まんじゅうをくくり付けた高い塔によじ上り、取ったまんじゅうの数を競うまんじゅうレースにも起因しているだろう。
塔に上ってまんじゅうを取り合うと聞くと、田舎の素朴な催しを想像するかもしれないが、まんじゅうレースの選手にはかなりのスピードと瞬発力が要求され、その戦いは熾烈を極める。レースに参加するため、日々鍛錬を重ねる選手もいるほどだ。しかも、レースは深夜に行われるにもかかわらず、毎回テレビで生中継されるほど人々の注目度が高い。
実はこのレース、1978年に塔が倒れ、24人がけがをする事故が起きてからは長く中止されていたが、再開を望む市民の声があまりにも強いため、新たなルールを設けて2005年に復活した。
また、昔からレースには本物のまんじゅうが使われ、レース後には観客にこのまんじゅうが縁起物として配られていたが、衛生上の問題から現在はまんじゅうを模した柔らかなプラスチック製の物が代用されている。
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まんじゅう祭は2011年に中国国家文化部の承認を受け、「粤劇(広東オペラ)」「涼茶(漢方茶)」「大澳端午遊涌(ドラゴンボート水上パレード)」「大坑中秋舞火龍(ファイヤードラゴン)」「孟蘭勝会(盂蘭盆)」などとともに中国国家級非物質文化遺産(無形文化遺産)」に登録された。祭のスケジュールは毎年開催日の3週間ほど前から発表される。レースの入場チケットは例年先着順の1人1枚となっている。イベントの詳細はセントラルフェリーピアの掲示板などでも案内される。
(この連載は月1回掲載)