第53回
(日本編その4)通訳・翻訳者
ひと口に「仕事人」と言ってもその肩書や業務内容はさまざま。そして香港にはこの土地や文化ならではの仕事がたくさんある。そんな専門分野で活躍する人たちはどのように仕事をしているのだろう? 各業界で活躍するプロフェッショナルたちに話を聞く。
(取材・武田信晃/月1回掲載)
相手の文化をしっかり勉強
翻訳・通訳は国際ビジネスをする上では欠かせない存在だ。フランシス・トーさんは東京で日本語、中国語、英語の通訳・翻訳の会社「Classic G」の社長として忙しい日々を送っている。
11歳で香港からカナダのトロントに移住したトーさん。「16歳の時、友達から『GTO』のVCDを借りたらハマりました」と、笑顔で日本語に触れるきっかけを語る。その時、話している言葉を直接理解したいという思いから勉強を始めた。
成績優秀で、高校と大学をそれぞれ1年ずつ「飛び級」し、20歳でカナダの最高学府トロント大学を卒業する。「1年だけ日本語の家庭教師を雇ったのですが、先生がワーキングホリデーを教えてくれて、来日を決意しました」
6月8日に卒業し、同月21日には東京にいたというから意気込みが伝わる。英会話学校と小中高の公立学校の英語の先生として働いた。最初は日本の英語教育システムに愕然としたが「例えば、小学生では興味をもってもらうためにゲーム形式の授業をするなど工夫しました。雰囲気づくりが大事でしたね」と苦労を話す。その才能と努力が認められ、半年後にはワーキングホリデーから普通の労働ビザに切り替えることが出来た。日本語も継続して勉強し日本語能力検定1級も取得した。
「来日して4年が経過してキャリアアップをしたかったのと、親の希望もあり香港に戻りました。ねじを扱う日系企業の社長秘書として働きましたが、いい人ばかりで、今でも連絡を取り合っている人もいます」と話す。その間、美貌を生かしてミス・アジアに参加したほか、パートタイムでモデル業もこなしていた。
日本との縁があるトーさんは2011年に再来日。展示会などで通訳コンパニオンとして働き、その後、大手の美容外科の通訳として勤務する。「実は中国人を中心に外国人客も多いのです。院内を走り回っている感じでした。(香港とカナダで育ったので)感情を表に出す性格でしたが、そこで忍耐を覚えました(笑)」と、そこは日本人らしくなった。
勤務も3年経過し同期が昇進していく中で通訳として働くトーさんにはそれがなかった。「美容外科で働いている時からときどき、翻訳の仕事を頼まれたりしたのですが、忙しくて出来なかったのです。自分のキャリアを生かす意味も含め、今の会社を15年に設立しました」
今は20人ほどの翻訳者を使いながら、さまざまな企業からの依頼をこなす。「翻訳は文章が美しくなければなりません。翻訳者から上がってきたものを私が最終チェックして、お客さんの所に届けます」。つまり美しい文章でなければ相手の心に届かないことをトーさんは良く理解している。「言葉だけではなく相手の文化をしっかり勉強して理解することが大事ですね」と語る。通訳業務での意訳と直訳の使い分けについても「『お疲れさま』という言葉は英語にはないので、無理して訳すと不自然になるので、あえて訳さないようにしています」。
日本でのビジネスについては「礼儀が一番大事」と話し、「年賀状やお歳暮なども送りますよ」と日本独特の習慣も完璧に身につけている。