121回 DQ(失格)

香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。
(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)

一公務員に過ぎない選挙主任が判断

立法会補欠選挙への出馬が認められなかった周庭氏

121回 DQ(失格)

「基本法違反」で資格喪失
23条立法反対も「DQ」に?

立候補者と議員の失格

今回のキーワードは「DQ」です。これは英語で「失格」を意味するDisqualificationの略語として通常に用いられる語ですが、立法会議員選挙への出馬資格や、議員資格の取り消しなどを意味するものとして、急速に重要になった新しいキーワードです。

最初の「DQ」は2016年、立法会議員選挙の際に発生しました。政府公務員である選挙主任が、通常通り立候補手続きを行った候補者のうち6名について、香港独立の主張を行い、香港基本法に違反しているなどの理由で、出馬を認めないとの決定を相次いで下したのです。6人中最も注目されたのは、同年2月8日の旺角での騒乱に関与して逮捕された「本土民主前線」の梁天٥a氏でした。逮捕後、梁氏は若者の間で急速に人気が高まり、騒乱直後の2月28日の立法会補選で大いに善戦しました。このため、9月4日投票の選挙では、世論調査でも梁氏は当選圏とされていました。しかし、梁氏は8月2日、政府から「DQ」を通告され、出馬を認められませんでした。選挙主任は、フェイスブックへの過去の書き込みなどを証拠に、梁氏がかつて香港独立を主張していたとしたのでした。

続く「DQ」は、選挙の直後に起きました。出馬できなかった梁氏に代わり、梁氏の全面的支援を受けて当選した「青年新政」の梁頌恒・議員と、同じく「青年新政」の游؟٧禎・議員が、10月12日の初登院時の就任宣誓において、香港独立を主張する宣伝物を持ち込み、中国を侮辱する言葉を吐くなどしました。梁振英・行政長官らは、両名の宣誓が無効であるとして、裁判所に両名の「DQ」の確認を求める訴えを起こしました。これを受けて、北京の全人代常務委員会は、宣誓は正確に、荘厳に行わねばならず、一度正しく宣誓しなかった者はやり直しできないなどとする基本法解釈を11月7日に行い、それもあって11月15日、両名に「DQ」の判決が下りました。すると政府はさらに12月2日、「雨傘運動」の指導者の一人である羅冠聡氏らを含む、さらに4名の議員についても宣誓の方法をめぐって訴えを起こし、昨年7月14日、4名いずれも「DQ」の判決が下りました。

そして今年3月11日、この「DQ」された議員計6名のうち、すでに判決が確定した4名の議席の空位を埋めるための補欠選挙が行われることになり、羅氏の空位を埋めるべく、同じく「雨傘運動」の指導者で、羅氏とともに「香港衆志」に属する周庭氏が出馬手続きをしました。しかし、1月27日、選挙主任は、「香港衆志」が主張する、住民投票による「民主自決」は、香港独立を選択肢に入れた主張であるとして、周氏を「DQ」しました。

法治か人治か

この「DQ」に対しては、非常に多くの論点があります。一方で、議員には憲法や基本法を擁護する義務があり、体制を破壊する言動を行う者や、宣誓を正しく行わない者は議員になる資格がないとの論もあります。しかし、「DQ」の理由とされた「基本法違反」は、違法行為を行ったことではなく、現在の基本法に合わない主張が根拠とされています。独立が現行法に合わないのは事実ですが、この論理では、独立や自決はおろか、基本法で香港が立法することが義務と規定されている23条立法に対する反対の主張も「DQ」となり得ます。

そして、2016年2月の補選に立候補できた梁天٥a氏が、同年9月の選挙では「DQ」されたこと、2016年の選挙に候補を擁立できた「香港衆志」が、今年の補選では「DQ」されたことを見ると、何をどこまで主張すると「DQ」になるかは、実際に出馬手続きを行い、選挙主任の通知を受け取るまで分からないのが現状です。仮に23条立法反対の主張が基本法違反とされれば、次の選挙ではほぼ全ての民主派議員が「DQ」されてもおかしくありません。

また、形式上、「DQ」が、一公務員に過ぎない選挙主任の判断とされているのが問題です。従来、選挙主任による立候補資格の審査は、出馬手続きの書類が整っているかなどを調べる、形式的なものでした。しかし、「DQ」の開始以後、選挙に誰が出馬できるかを政治的に審査するという、極めて政治性の高い職務を彼らは任されることになったのです。林鄭月娥・行政長官は、選挙主任の判断に自分は関与していないと主張していますが、公務員が上からの指示なしに、突如ここまで政治的な行為に及ぶことなど、とても想像できません。

つまり、何が基準で、誰の責任と判断で「DQ」がなされているかが、全く不明瞭なのです。これは「法治」というよりも、特定の人々の政治的な判断による「人治」の論理と言わざるを得ないでしょう。

世代への「DQ」

そう考えれば、「DQ」の意図はかなり明白です。政府は恐らく単純に、本土派の精神的指導者となった梁天琦氏と、「雨傘運動」の指導者であった周庭氏、そしてその背後にいる黄之鋒氏を「DQ」して、排除したかったのでしょう。これは「雨傘運動」への最大の「清算」かもしれません。本土派と自決派は、2016年の立法会議員選挙で計6議席を得ました。しかし、今回の「DQ」で、これら新勢力が、今後政党として議席を得て活動するのは、制度的に事実上不可能ということが明らかになったと言えます。

その影響はさまざまな形になり得ます。短期的に見て、一方で「DQ」に怒る人々の反発があります。しかし「DQ」は、その反発を選挙という手段で表明するのを不可能にする措置であり、怒りのやり場がない中、ニヒルなあきらめが広がるかもしれません。「雨傘運動」への「懲罰」を主張してきた人々にとっては、それはむしろ望ましい展開でしょう。

しかし、筆者は長期的に見た場合の「DQ」の後遺症を憂慮します。周庭氏は、これは自身に対する「DQ」というより、若者世代への「DQ」であると述べます。本土派・自決派は、主に若者世代から強く支持された勢力です。彼らを「DQ」することは、「雨傘運動」世代を政治が排除することを意味します。こうした断絶が、今後香港の社会や政治、さらには経済にどう影響するか、「DQ」という短絡的な方法をとる前に、政府はよく考える必要があると思います。

(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・倉田徹
立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、035月~063月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞

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