120回 剪布(ハサミで布を切る)

120回 剪布(ハサミで布を切る)

立法会議事規則の改定
引き延ばし戦術を阻止

 香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。
(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)

行政主導の回復につながるか

絶妙のタイミングで議事規則を改定した立法会

引き延ばしの「布」を切る

 今回のキーワードは「剪布」です。直訳すれば「ハサミで布を切る」となりますが、これでは意味をなしません。「剪布」を理解するためには、元となった言葉「拉布」から説明する必要があります。すでに本欄でもかつてとりあげたことがありますが、意図的に立法会の審議を引き延ばす行為を、「布を引く」と言う意味の「拉布」という語で例えることが、数年前から香港で定着しています。こうした引き延ばし戦術を阻止する行為が、「剪布」と言われるのです。

 立法会主席は、議員の発言を打ち切るなど、これまで様々な手段で「剪布」をしてきましたが、「剪布」の最も強力な武器が、昨年末に立法会を通過しました。立法会議事規則の改定です。例えば、立法会全体委員会の定足数が、35から20に引き下げられました。親政府派は兼業の議員が多く、長時間の会議を途中で離席する者が多いため、民主派はしばしば定足数不足を指摘して在席議員の人数を数えることを主席に要求するなどして時間を稼ぎましたが、定足数の引き下げでそのチャンスは大幅に減ります。また、定足数不足で会議が流れた場合でも、流会当日を含めていつでも次回会議を設定できる仕組みに変更され、審議期間の延長は難しくなります。

絶妙のタイミング

 この議事規則の改定は、以前であれば事実上不可能のものでした。

 香港の立法会には「分組点票(選出枠別票数計算)」という、独特の仕組みがあります。採決の際、政府が提出した法案・議案については、全議員の過半数の賛成で可決となる一方、議員提出の法案・議案は、普通選挙選出の議員35名と、職能別選挙選出の35名が、いずれも過半数賛成しないと可決とならないという制度です。返還後の立法会は、職能別選挙枠は親政府派が、普通選挙枠は民主派が、必ず過半数を押さえてきました。全体では親政府派が過半数となるため、政府提出の法案・議案は可決できますが、議員提出のものについては、民主派と親政府派のいずれかが反対するものはほぼすべて否決されることが宿命づけられており、ほとんどの場合否決となってきたのです。立法会の議事規則は議員の合意による取り決めである以上、改定は議員が提案し、「分組点票」で可決される必要があります。民主派が普通選挙枠の過半数を押さえていたため、議事規則の改定は、民主派の反対で実現できなかったのです。

 しかし、事態は突如大きく変化しました。昨年7月14日、高等法院は就任宣誓の不適格を理由に、4人の非親政府派立法会議員の議員資格を無効とする判決を下しました。一昨年の青年新政の2議員と加えて、6議席が空位となった結果、普通選挙枠でも親政府派16議席に対して非親政府派が14議席と、親政府派が過半数という状況が生じたのです。今後、3月の補選の結果によっては非親政府派が再び普通選挙枠で多数になる可能性も高いため、親政府派は補選がまだ実施されていないこのタイミングでの議事規則改定を急いだのでした。

「効果」は未知数

 さて、この議事規則改定は、立法会にどのような変化をもたらすでしょうか。

 親政府派と政府にとって期待されるのは、当然ながら立法会審議の迅速化・効率化です。基本法は香港の政治体制を「行政主導」を旨として設計しています。行政機関が政策や法案を立案し、それに立法会は適度のチェックを加えつつ賛同するというのが、北京が当初考えた理想型と言えるでしょう。先述の「分組点票」も、立法会議員が法案を提出して「立法主導」で政策提案を行うことをしにくいようにするための仕組みです。しかし現実には、建設的役割を与えられなかった議員たちは、むしろ政策への厳しいチェックと反対によって点数を稼ぐことを志向しました。シンクタンク「新力量網絡」の調査では、返還から16年間(2013年7月まで)の法案成立率は55・6%に留まりました。中でも、梁振英・行政長官の初年度である2012—13年度は4583%と、半分以上の法案が廃案または棚上げとされたのです。日本の民主党政権末期にあたり、「ねじれ国会」による「決められない政治」が批判されていた2012年通常国会の法案成立率が57%ですから、これと比べても、返還後の香港では極めて弱い政府が常態化してきたと言えるでしょう。

 では、今回の「剪布」は、行政主導の回復につながるでしょうか。確かに民主派は、審議引き延ばしの武器を失いました。しかし、議員の権限が極めて小さいという構造的問題は変わりません。議員が存在感を示すために、特定の政策や法案の実現を阻止しようとする局面は、今後も生じるでしょう。

 他方、民主派はこの「剪布」措置に「百倍奉還(百倍返し)」すると宣言したものの、具体的にそれを実現する手段は限られます。そもそも「拉布」は、政策実現を妨害するという消極的な手段であり、「悪法」と見なされるものを阻止するためであればともかく、通常の政治状況では決して市民から喝采を浴びるようなものではありません。議員資格取り消しによる勢力分布の変化という隙を突いて親政府派が議事規則改定に踏み切ったことに対し、民主派寄りの人々は強く反発しています。しかし、それ以外の多くの市民は概ね冷静な反応です。「拉布」を繰り返すほどに、民主派政党の支持率は下がっています。慎重かつ有効に対抗手段を考えない限り、「百倍奉還」はむしろ市民の反感を買う恐れがあります。

 林鄭月娥・行政長官の就任で、香港政治の空気は大きく変わりました。過去数年の政治状況への変化を期待する多くの市民は、政府に強く反発・抵抗するよりも、成果を見守りたいという意識を持っているように見えます。もし親政府派が機に乗じて調子に乗りすぎると、市民の反発を買うでしょう。他方、民主派が空気を読まずに「反対のための反対」と見なされる行動に終始すれば、これもまた支持を失うことは必至です。

 結局のところ、今回の「剪布」の効果を決めるのは、市民の反応ということになるでしょう。

(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・倉田徹
立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、035月~063月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞

 

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