他国は敬っても中国国歌は侮辱する香港人
まだ私が子供だった1960年代、映画館では上映が終わると必ずスクリーンに英国女王が映し出され、英国国歌が流れました。観客はすぐ全員まじめに起立して、英国国歌を聴き終わってから映画館を出ます。途中で勝手に帰る人はいませんでした。なぜかというと、英国政府は植民地の香港人に英国女王と英国政府に忠誠・帰属意識を強く持たせるように管理していたのです。その時代は、教育のレベルの高い人だろうと低い人だろうと、子供でも大人でもみんな素直に英国国歌を聴きながら、本気で女王と英国政府を尊敬し、忠誠を誓う姿が見られました。
私が覚えている限り、この映画館での国歌放送は70年代初めぐらいまで続きました。映画館だけじゃなくて家庭のテレビでも同じように、1日の番組が全て終了する時に女王が画面に映し出され英国国歌が流れました。私自身も、家の中に家族メンバーがいてもいなくても、誰かに指示されなくても、国歌が流れ始め女王の姿が目に入れば、その方に向いて起立するまじめな子供でした。また1977年に警察学校に入ったときは、入学式で見習い警官全員が必ず真剣に女王への忠誠を宣誓しなければいけなかったです。
後悔はない英国へのリスペクト
しかし、そんな時代から50年たった今、そういう行為について香港人はどう思うのでしょうか? 1997年直前に英国政府はゴミのように香港人を捨てて、香港で生まれた300万人以上の香港人に英国居住権も英国パスポートも与えませんでしたから、英国に忠誠を誓ったことを後悔しないのか? 一人ぼっちでいるとき誰に命令されなくてもテレビの前で女王と国歌に起立するなんて、ケリーは大馬鹿じゃないか? 返還後に英国が自分の国じゃないということにようやく気がついて、過去に英国と女王をリスペクトしたことを後悔しないか? そんな自分を反省しないのか? そう聞く人もいるでしょう。ですが、私はこういう疑問に対して、少しもためらわず、すぐに「後悔も反省も全くないし、後悔も反省もする必要はありません!」と答えます。
60年代の中国にはまだめちゃくちゃな問題がありました。中国がまだ発展途上だった数十年間に香港人は英国政府に大変お世話になって、当時を知る香港人なら誰でも中国政府に対して恐怖心を持っていますから、そのころ女王と英国政府に感謝の気持ちや忠誠、尊敬の念を持っていたことは何も問題ないと思います。当時の香港政庁は全て英国政府がコントロールしていたから、警官になるときに全員が英国と女王に忠誠を誓うのもまた当たり前のことです。宣誓を拒絶したら警官になれないことは間違いありません。
また、一人ぼっちのときや家の中で女王と英国国歌に向かって起立するのは別に変なことではありません。基本的に忠誠かどうか、そこまで深く考える必要はありません。子供だった私がその時に一番考えたのは、他国、他国の女王、他国の国歌でも、人間として尊敬しなければいけないということ。他国やその国の歌を尊敬するのはあくまで私ケリー・ラムの家庭教育の一部です。
侮辱行為は言論の自由なのか
この理論がわかれば、現在メディアで頻繁に報道される「国歌法」について何ももめる問題はないはずだとわかるでしょう。10月1日に中国本土で成立した国歌法は簡単に言うと、中国国歌を斉唱・吹奏する時に侮辱的な行為を禁止しています。違反するなら、3年以下の禁固、懲戒の処罰ができます。
11月4日に全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会が「香港・マカオ基本法付属文書3に含める全国的法律を増やす決定草案」を可決し、国歌法を香港にも適用することが決まりましたが、こんな敏感な法律を香港で作るなら当然、香港社会でまた言論の戦火が起きるでしょう。国歌法が将来香港でうまく行使できるのかどうか、いろいろな意見や批判も出ています。典型的な妖怪、悪魔都市になった香港はまた大騒ぎになって、最近、中央政府を心配させる事件が続々と発生しました。
中央政府を一番激怒させるのは当然「香港独立」の運動やスローガンですが、最近香港がホームゲームのサッカーの国際試合で観客による中国国歌への侮辱行為が相次いで問題となりました。ブーイングやピッチに背を向ける、中指を立てる、ヤジを飛ばすなどの侮辱的な態度のほか、「香港独立」の横断幕を掲げる観客もいました。こうした失礼な行為は当然、国際的な批判を受け、中央政府だけじゃなく香港人にも恥をかかせる行為です。
なぜ中国人としての香港人は自分の国を尊敬しないで侮辱するのか? この疑問に対し政党のリーダー、評論家、議員からはデタラメな説明が出てきます。ひとつは「侮辱行為も言論の自由だ!」という説明です。だから、言論の自由をやめさせてはいけない! 民主と人権を守れ! など、いろいろな変な弁論が出ています。
国歌法行使は不可能という主張
国歌法に反対する人は、将来香港で立法化されても実際に行使することは不可能だと主張しています。それはなぜか? もし観客千人以上が集まったサッカーグラウンドで国歌吹奏する時、こんな多人数をコントロールすることも逮捕することも不可能ですから、国歌法なんて全然意味がないし必要ないと言うのです。
また、もし病気や体調不良などの理由で国歌吹奏時に起立することができない場合はどうするのか? 将来、街を歩いている時に突然に国歌が流れてきたら、歩行者たちはみんな突然歩くのを中止しなければいけないのか? そんなことはなかなか不可能だから、国歌法に現実的に従うことは出来ないじゃないかと言うのです。
国歌法は恐怖を作り出し、独裁政権で人民の自由と権利を制限すると反対する人たちは、合法的に国歌法の大問題、最悪な点を指摘するけれど、どんな国でも国歌があるのですから、国歌を吹奏するとき現場にいる自国の人間に起立、静粛、まじめな態度で敬意を払うよう要求するのは当たり前のことだと私は思います。
違反行為、皆でやれば怖くない?
国歌法に反対する人たちはどうして大騒ぎをするのでしょうか? いつもオリンピックで優勝者が国歌を聴く場合に、まじめな態度で起立します。これは悪いことですか? 自分の国を尊敬する行為のどこが悪いですか? 「もし全員が国歌を無視するなら全員を処罰するのは不可能でしょう」と主張するのは、やはりおかしな言論だと思います。
違法なことをしても、違反者の数が多いならしょうがないという考え方こそ、変な思想です。毎日香港で数え切れないほどの市民がゴミを捨てたり、赤信号
を無視して道を横断し、またドライバーが数え切れないほど交通違反することもいっぱいあります。もし全て許すなら、この都市はすぐメチャクチャ危ないところ、無法地帯になるでしょう。
国歌法に反対する香港人がおかしいのは、もし外国の国歌なら起立し、真剣な態度で敬意を表してもかまいません。たとえ起立しなくても、わざわざ騒いだり、変な行為はしません。
政府に不満を持ち、抗議をしてもいいけれど、国と政府ははっきり言えば2つの別のものです。混同してはいけません! ミスをした政府を批判し抗議するのはよいが、それは「国」とは関係ありません。国歌は国の象徴ですから、国を尊敬するなら、たとえ反政府派でも国歌が流れるときに、起立し、礼儀正しい態度をとらなければいけないと思います。国に敬意を払うのは親を尊敬するのと同じ当たり前のこと。そこがわかれば、国歌法に対して何の恐れも文句も悩みも感じる必要はないでしょう! 変な弁論や異常識で迷うことはありません!
ケリーのこれも言いたい
人権と民主を主張するためにスポーツの試合を政治利用したり、騒ぎを起こすのは、国際的にもマナー違反だと指摘されています。そのせいでサッカー協会や香港代表チームが処罰されるのは気の毒です。