ヴェルディの傑作 オペラ「アイーダ」上演

ファラオ時代のエジプトとエチオピアという2つの国に引き裂かれた男女の悲恋を描く「アイーダ」(写真提供・Opera Hong Kong)

 村上春樹は人生という長い距離を泳ぎ切れるのは、折り返し地点があるからで、そしてその折り返し地点は35歳だと小説に書いていました。年齢を重ねてくると、少し立ち止まって過去を振り返って、今までの自分の行いを自己評価してみるには35歳ではちょっと早くて、今なら45歳くらいがちょうどいいのかな、とも感じます。折り返し地点からが本当の勝負なのでしょうか?

 フランス料理界では、ジュエル・ロブションのようにミシュラン3つ星を得たレストランが絶好調の時に51歳で突然店を畳んで、その後はプロデューサーとして「ロブション」というブランドを確立した人もいます。

音楽家の歩んできた道

 クラシック音楽界では、モーツァルトやシューベルトのように30歳前後で亡くなった作曲家は折り返し地点もなく振り返る余裕もなく突っ走ってきましたが、ロッシーニは数々のイタリアオペラの傑作を作曲して名声が絶頂期の38歳で突然筆を折り、その後一切オペラは作曲しませんでした。

 世界屈指のオーケストラとして知られるベルリンフィルは11月に香港公演を行いますが、その音楽監督のラトルは来年退任し、ロンドン交響楽団の音楽監督になることを発表しました。ベルリンフィルを率いて16年のラトルは今年62歳。英国に帰り自国のオーケストラのレベルアップと自身の芸風をさらに磨くことに決めたのでしょうか? ずっと歩んで来た道を振り返った際に、キャリアを上り詰めた後には自分の心に正直に音楽を紡ぎ出すということにより魅力を感じたのかな、とも思います。

イタリアオペラの総決算

 イタリアオペラの巨匠として知られるヴェルディは30年以上もイタリアのオペラ界をリードしてきました。「仮面舞踏会」「運命の力」「ドン・カルロ」と数々の名作を生み出し、そして総決算として新しいオペラ「アイーダ」を作曲しました。

 ヴェルディは「アイーダ」を作曲した1870年に56歳になっていました。彼は人生の長い前半のレースを終了して、折り返し地点に達したのでしょうか? 当時の寿命からすれば引退してもおかしくない年齢です。自分で納得の行く出来で最高傑作と聴衆からも認められ、これ以上のオペラを書くことはもう出来ないと考えてオペラの筆を折り、実質作曲そのものをやめました。実際には15年後にまたオペラを作曲することになって「オテロ」(本紙1462号掲載)を作曲し、最晩年にもう一曲、彼にとって唯一の喜劇「ファルスタッフ」を作曲して、その初演時には80歳になっていました。

 50代の後半に「アイーダ」を作曲したころのヴェルディの生活は、故郷で農園を経営し、国会議員にもなりました。しかし、結局またオペラ作曲に戻るわけです。そうして作られた「アイーダ」が今秋、香港のオペラシーンを飾ります。香港カルチュラルセンターで1010日から5日間にわたって上演されます。

作曲家自身の心の動き

 「アイーダ」の作曲はエジプトのスエズ運河開通記念という目的で、エジプトの大守パシャで、今の価値で計算すれば10億円近い金額を積まれて作曲の依頼を受けたそうです。

 題材は歴史上の架空の大人物ですが、カイロ歌劇場のこけら落としでの初演(実際は間に合わず)、凱旋行進曲やバレエなども取り入れたスペクタクルな内容で、今までの作曲の集大成として音楽が考えられ組み立てられ、確実に聴衆が満足するように作曲された完璧な名作です。ヴェルディにとって最後のオペラになるという覚悟だったのでしょう。そして、実際に大喝采を浴びました。

 スペクタクルな面ばかりが知られている「アイーダ」ですが、このころのヴェルディは、元プリマドンナの女性と再婚して経済的にも安定してイタリアの国民的英雄になっていました。ところが、「アイーダ」の初演でもタイトルロールを歌ったソプラノ歌手に惚れてしまいます。その後、ヴェルディの再婚相手が他界し、結局、そのソプラノ歌手が彼の最後を看取るまで付き合いを続けるのです。そういうヴェルディ自身の心の動きもこのオペラでは重要なテーマだと思います。

 オペラ作曲の集大成として「アイーダ」を作曲したのが56歳、結果として87年間のヴェルディの人生の折り返し地点での作曲がこの「アイーダ」だと思います。このヴェルディの最も輝かしいオペラを鑑賞して、頂点を極めたあと、自分の人生をどう歩んでいくべきなのかを考えるにはふさわしい音楽かもしれません。

(本連載は2カ月に1回掲載)

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