昨年5月に惜しまれながらこの世を去った「世界のニナガワ」こと故・蜷川幸雄さんの代表作「NINAGAWA・マクベス」が、6月23〜25日に香港文化中心(香港カルチュラルセンター)の大劇場で上演された。舞台装置設営の舞台裏から主演二人へのインタビュー、総稽古(ゲネプロ)そして本番までの1週間を追ってみた。
(取材と文・綾部浩司/取材協力・ホリプロ、康楽及文化事務署)
シェークスピアの作品を日本の安土桃山時代へと舞台設定を移した同作の主役は、2015年以来のコンビである市村正親(マクベス)と田中裕子(マクベス夫人)。そして蜷川さんの薫陶を長く受けてきたベテラン俳優勢が出演、度胆を抜いた妹尾河童の舞台装置に、豪華絢爛な辻村ジュサブローの衣装など、日本での公演をそのまま香港で再現したまさしく引っ越し公演といえる。
公演チケットは、香港はもとより日本や台湾から購入した方も多く、販売開始から反響が大きくわずか1カ月足らずで全席完売。この公演にいかに大きな期待が寄せられていたかがうかがい知れる。
日本から主に海路で運ばれた大型舞台装置や照明は、蜷川組ともいわれる日本の舞台設営スタッフたちと香港カルチュラルセンターの舞台装置を知り尽した地元スタッフによる日港共同作業でほぼ3日かけて設営された。
「香港の舞台スタッフの方々はとにかく仕事がきびきびしていて、ビックリするほど作業が的確で早い。そして実に協力的で、友好的なムードで作業が進められた」と蜷川組のスタッフの1人は語る。筆者も設営初日から作業の様子をステージや客席から見ていたが、スタッフがしゃべる日本語や英語、広東語が聞こえてこなければ、異なる国や地域の人たちが作業しているとは到底思えない。それは素晴らしい舞台を「創りあげる」というプロ根性の共有こそが成せる技であろう。
開演に先駆けた本紙のインタビューでは主役の2人に話を聞いた。
蜷川さんが客席にいるよう
市村は、「18年前に蜷川さんとリチャード3世でお仕事させていただいて以来、ハムレット、ペリクリーズと続き、そして今回のNINAGAWA・マクベス。蜷川という名前がついたNINAGAWA・マクベスを演じられることはとても光栄だと思っています。蜷川さんが亡くなってもう1年経ちますけれども、劇場が真っ暗になり舞台に明かりがともると、蜷川さんが客席にいる感じがします。だから怒鳴られないようにしっかり芝居をしようと思いました」と語り、「2年前、NINAGAWA・マクベスの台本に『市ちゃん! 頑張った! 蜷川幸雄』と、蜷川さんにサインをしてもらいました。これは蜷川さんの僕への最期の言葉だったのかな、と」という感慨深げな一言もあった。
また田中は、「33年前に平幹二郎さんと共演したテンペストが蜷川さんとの最初のお仕事でした。そして2年前のNINAGAWA・マクベスの稽古の最終日に『僕はいつもここにいるから、ここから観ているから。忘れないでね』っておっしゃいました。その言葉がやはり何かのたびに蘇ります」と、蜷川さんとの思い出を振り返った。
筆者には大きな疑問があった。蜷川さんが多くのシェークスピア作品を題材に演出した中で、なぜこのマクベスに限ってNINAGAWAの名前がつくのか? それを俳優の立場からどう思うか聞いてみた。
幕の代わりに仏壇が開く
市村は、「ハムレットやリチャード3世をやっている時はシェークスピアを演じているな、と感じました。そしてとても日本風な演出であったペリクリーズでもやはり、シェークスピアをやっているな、って気がしたのです。しかしこのNINAGAWA・マクベスをやっているときはなぜかシェークスピアをやっている気がしないのです。それがもしかするとNINAGAWA・マクベスなのか、と」
そして田中は、「シェークスピアを愛し尊敬していた蜷川さんがどう思っていたかはわからないけれど、この作品は舞台の幕が開く代わりに仏壇が開くのですよね。だからなんかシェークスピアを仏壇の中に入れたな、そして宇宙の闇に飛ばしたな、という気がします。ほかの作品にもみんな『NINAGAWA』って付けてもおかしくないかもしれないけれど、これはもう仏壇の中でやろう、と思いついた時にシェークスピアと戦った、というよりシェークスピアを投げ込んだな、ってそんな感じがします。そしてそうすべきだ、と思ったのでしょうか? 他の作品はシェークスピア作。自分がどれだけ演出しても市村さんがおっしゃるようにシェークスピアを感じるのだろうけれど、このマクベスに関してはやはり仏壇に入れちゃって、そして最後は閉めちゃうから」と、彼女なりの解釈を話してくれた。
(2014年に『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』公演のため香港に滞在した)蜷川さんにとって最後の海外訪問先となった香港。今回の「NINAGAWA・マクベス」公演初日の6月23日、87歳を迎えた妹尾河童も本公演を観劇していたが、「蜷川と一緒に香港で観ることが出来なかったのは実に残念」と語った言葉が実に印象的だった。カーテンコールでは出演者一同、そして舞台に飾られた蜷川さんの遺影に対し観客全員がスタンディングオベーションで讃えるという素晴らしい感動のステージであった。