第45回 作曲家


金像奨を日本人最年少で受賞

 ひと口に「仕事人」と言ってもその肩書や業務内容はさまざま。そして香港にはこの土地や文化ならではの仕事がたくさんある。そんな専門分野で活躍する人たちはどのように仕事をしているのだろう? 各業界で活躍するプロフェッショナルたちに話を聞く。
( 取材・武田信晃/月1回掲載)

香港のアカデミー賞といわれる香港電影金像奨(Hong Kong Film Awards)。今年の最優秀オリジナル映画音楽スコア賞は、日本人作曲家の波多野裕介さん(31歳)が『七月與安生/Soul Mate』という作品で金培達(Peter Kam)さんと共同で受賞。日本人が受賞した金像奨部門賞としては史上最年少という快挙となった。

棋士の升田幸三さんの「運勘技根」という言葉が好きと語る波多野さん

「ノミネートというだけで十分うれしかったのですが、発表の直前まで舞台で演奏をしていて、受賞時はまだ舞台裏にいましたので、名前を呼ばれてビックリしました」(笑)

金像奨のトロフィーには波多野さんの名前がしっかりと刻まれている

波多野さんの生い立ちは国際的だ。父親の仕事の関係から米ニュージャージーで生まれ、10〜15歳は名古屋、15歳の途中から17歳はマレーシアのジョホールバルに住んだが、適当な学校がなく毎日シンガポールへ2時間かけて通った。大学はオーストラリアで最初は数学を専攻したが、音楽への思いが断ち切れず同じ大学内で音楽に専攻を変えた。

ミュージシャンとして演奏する様
映画のために何十枚と書いた楽譜 ※上下写真ともに波多野さん提供

「7歳くらいからピアノ教室に通ってはいましたが、音楽を本格的にやりたいと思ったきっかけは、シンガポールの学校でiPodがはやった時にファイナルファンタジーの音楽を聞いて衝撃を受けたことです。親に『音楽ソフトを買ってほしい』と頼みました」

厳格な家庭で育ったため、それが初めてのおねだりだった。父親はジャズ好きでギターをやっていたせいか、すぐに買ってくれた。それからは音楽の理論などは独学で学んでいった。「自分が勉強してきたことは、大学授業の中ではわずか60分で終わってしまいました。それまで独学で勉強してきたという自負がありましたが、そこで音楽の奥深さを痛感させられました」

卒業後はブリスベンで音楽の先生をしたり、レストランで弾いて生計を立てていたが、「このままでいいのか」という思いもあった。そんな時、大学で知り合い交際していた香港人の彼女(現夫人)が香港に戻ることになり、波多野さんも香港行きを決めた。「全くあてがなかったのですが、フィリピン人の知人からフォーシーズンズ・ホテルで演奏者を探していると紹介され、幸いにもビザが下りてミュージシャンとして働き始めました」

そうこうするうちに人脈が広がり香港の歌手の編曲依頼が来た。それがさらに広がり、今度は映画音楽の話が舞い込んできた。「香港映画界はちょうど新しい何かを求めていたんだと思います。そういう意味でラッキーでした。作曲はもうがむしゃらにやりました。プライドなんて言っていられません。監督の人間性を見て、監督が見えないものをうまく表現できれば…と思って作曲しました」。映画音楽では特定のシーンに合わせた曲作りが必要なので『七月與安生』と同時ノミネートを受けた『一念無明/Mad World』という映画では50もの曲を作ったという。

音楽家としての引き出しが増えるからとミュージシャンとして今でも人前で演奏を続けている。もちろん作曲依頼がひっきりなしに来る。「まだ30代なのでいろいろなことを吸収する立場だと思っています。上を目指すというより、前に進むという感覚で仕事をやっていきたいです」と謙虚に話してくれた。

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