いまやチェリストにとって「旧約聖書」といわれているバッハの無伴奏チェロソナタ全6曲は、1890年にカタルーニャ出身のある少年がバルセロナで偶然発見したバッハのチェロのための単なる練習曲の楽譜に興味を持って弾き始めなければ、埋もれたままだったかもしれません。なにせ、バッハの死後200年近く、誰も芸術作品としてみなしていなかったのです。
この少年はやがて巨匠チェリスト、パブロ・カザルスとなり、1940年までにバッハの無伴奏チェロソナタを全曲SPレコードに録音します。これで、世界中にこの曲の真価を広めることになったのです。筆者は、カザルスの録音で目を開かされ、1985年にチェリストのミッシャ・マイスキーのデビュー録音(ドストエフスキー的感情表現と一部には酷評された)の素晴らしさに魅了され、この曲の録音も50種類以上所有するほどハマってしまいました。
若手チェリスト
無伴奏チェロ、つまりその楽器だけで壮大な音楽世界を表現しますので、楽器の力とそれを演奏するソリストの人間性や哲学、音楽に対する思想や感情などがすべて生のままでパフォーマンスに反応する、恐ろしい音楽形態でもあります。
バッハの無伴奏チェロソナタ第一番の軽やかな滑り出しと微妙に変化する陰影の塩梅、引きずる響きと無音の間の織りなす緊張感。第二番の引きずる音の連続とどこまでも深く、深淵を極めるために遠慮しない音色と旋律。この曲のプレリュードやサラバンドなどはバッハの数ある音楽の中で、一、二を争うくらいに、自分の心にダイレクトに伝わり、全感情が同時に共鳴するような、まさに魂が揺さぶられるという表現そのものの音楽だと思います。
第三番は、一気にたくましく元気よく始まる曲で、サラバンドでも感情の狭間に落ちないように優しく包んでくれます。しかし、もちろん悲しさは暗渠で、深くには悲しみの感情が静かに流れていると思います。
これら3曲をすべて一晩に味わえる豪華なコンサートがあります。6月8日、毎年恒例の「Le French May(フレンチ・メイ)」のコンサートで、ジャン=ギアン・ケラスというフランス系カナダ人のチェリストによるソロ演奏会です。3曲それぞれの前に、「エコー」と題して現代作品を演奏する非常に意欲的なコンサートです。若手(と言っても、彼はもう50歳ですが)の演奏らしく思い切りの良いフレージングで、現代の空気をチェロの演奏のフレーズとフレーズの間に忍び込ませて、軽快なようでときどき思い切りためを入れて、伝統的な味わいも感じさせる新しい演奏が堪能できるでしょう。
フランスの実力派楽団
同じフレンチ・メイのプログラムでもうひとつご紹介したいのが、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団。2015年に前首席指揮者チョン・ミュンフンの後任として就任したフィンランドのミッコ・フランクと共に、6月2日に1日だけの音楽会を開きます。マレク・ヤノスキとチョン・ミュンフンという世界的な巨匠がそれぞれ15年ずつ音楽監督として鍛えたオーケストラで、実はオールラウンドプレーヤーでもある実力派のオーケストラです。今回は、ベートーベンのバイオリン、チェロとピアノのための協奏曲、ドビュッシーの交響詩「海」、最後にラヴェルの「マ・メール・ロア」という演目です。
ベートーベンの「トリプル」協奏曲は、華やかな場で演奏されるまじめ一方ではない協奏曲です。ドビュッシーの「海」はもはや説明が必要ないほどの超有名曲。葛飾北斎の「富岳三十六景~神奈川沖浪裏」が大好きだったドビュッシー、「海」の初版楽譜の表紙には北斎の「浪」が大きく描かれています。そして、この日の最後にラヴェルの「マ・メール・ロア」を持ってきました。つまりは名曲中の名曲である「妖精の園」がこの日のコンサートの最後の曲となります。人が人を思うという純粋な心の美しさを結晶化させたようなラヴェルの珠玉の音楽です。
この趣の異なる2つの音楽会。バッハのチェロのコンサートでは音楽と全身で真剣に取り組む姿で接することになると思いますが、フランスのオーケストラのコンサートでは、音響を自然なままで感じて全身でオーケストラサウンドを浴びてください。(本連載は2カ月に1回掲載)