香港で唯一日系の警備会社
東洋警備(香港)有限公司
【プロフィール】 ——事業内容ついて教えてください。
1985年に創立しました。香港警察よりセキュリティーライセンスと銃取り扱いライセンスを取得している唯一の日系警備会社です。ちなみに香港の日本人でたった一人銃器(ショット・ガン)取り扱いの特別ライセンスをもっています。これがないと強盗や外部からの武装集団への対応が出来ません。 ——設立当時と今では治安は良くなっていますか。
香港が中国に返還された1997年前後は海外移民が年間数万人に及んだ時期であり、殺伐としていて物騒でした。中国本土から貨物列車の底部に身を隠し香港に侵入、いわゆる「省港帰兵」と云われる武装集団による強盗が多発したのもそのころです。たまたま創立の時期にセキュリティー強化が必要とされた社会状況でもあり、それこそ命懸けで警備の職務に携わりました。 ——ローカル企業とどのように違うのでしょうか。
日系企業への対応が日本語を使用することによって意志の疎通がよりスムーズに行われ適切な対応ができるようになったということです。警報作動時に即香港警察のパトカーと同時に弊社の警備員が現場へ駆けつけるなどで対処、日系警備会社ならではのきめ細かいサービス提供に努めました。今でこそ深&`や東完が世界の工場といわれておりますが当時は香港が世界の工場でした。香港フラワーなどの加工製品をはじめ時計、カメラ、光学製品、玩具クリスマス用品など日系企業の製造工場がたくさんありました。 ——そもそもなぜ香港に来たのですか?
最初に香港にきたのは大学生の時1963年でした。「青年アジア協会」のアジア訪問団の一員として今で言う「青年の船」のはしりです。香港を訪問してフィリピンに向かう予定でしたが、団員の一人が銃で撃たれるという事件が起こり介護のために香港で下船して自分も2カ月滞在しました。滞在期間中は尖沙咀のYMCAで寝起きし、柔道を教える機会がありました。日本人なら柔道を知っているだろうと教えを請われ、柔道、レスリング両部OBである自分は喜んで指導することになりました。 ——そのまま香港にいたのですか。
大学を卒業するため一度帰国しました。でも自由闊達な香港の魅力にとりつかれ卒業後ふたたび香港に戻ってきました。1966年に九龍太子道に25畳の「香港柔道館」を開設、新界上水にあるポリスカディットスクール、英駐留軍グルカ兵師団の柔道指導教官として香港の警察官を含めた多くの生徒に日本の伝統武道の柔道を手ほどきし香港全域に柔道を広めました。縁あって日本の大成建設の海外法人ニューテックに入社し、生活も安定したので柔道普及に力を注ぐことができました。大成建設からそごうビル管理をしないかと言う話があったのはこのころでした。この仕事をするためには警備ライセンスが必要でしたので試験を受け合格、日本人としては初めて香港での警備業務の仕事ができることになりました。 ——大変だった点とは。
根本的に感覚が違うのでそこから教えていくのが一苦労でした。礼儀からなっていない人たちに責任感というものがどんなことであるかも教えていかないといけませんでしたから。日本人の持つ責任感や義務感というものを浸透させるには少なからぬ時間がかかりましたが、信頼がないと務まらない業務なので、スタッフが大変ながらも学んでくれたことはうれしくもあり頼もしくもあります。 ——在香港日本国総領事館の安全対策連絡協議会座長をされているそうですね。 香港で暮らす日本人が安心して生活を営むために、治安状況を常に把握し防犯への注意喚起を促すとともに安全対策についての各界からの意見交換、対策マニュアル作成などをし、在留邦人が被害や事故にあわないためのいろいろな対策を講じます。そのなかには治安とは関係のない伝染病なども含まれています。重症急性呼吸器症候群(SARS)や鳥インフルエンザが発生した時も邦人の皆さんが安心して生活ができるよう総領事館主導の下で官民一体となって安全対策連絡協議会として対応しました。 (この連載は月1回掲載します)
【楢橋里彩】 |
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