東日本大震災から3年
なじみ深い東北地方
日本の西田幾多郎や和辻哲郎などといった戦前の哲学者の思索を現代的な視点から読み解いています。3年前に東日本大震災が起こってからは哲学と震災についてのつながりについても研究をするようになりました。 ——といいますと?
哲学や倫理学と言うのは人間の「生」にかかわるあらゆるテーマを扱っています。地震と津波による被害、原発事故は、私たちの予想をはるかに超えたもので、これまで当然とされてきた価値観、自然観、文明観などが大きく覆りました。大震災が突きつけた根本的な問いを受け止めて、私たちはライフスタイルを考え直すときにきています。ここでいう復興というのは物理的な復旧ではなく心の復興や価値観の転換についてです。どのような「生のかたち」を私たちが目指すべきかが問われます。私自身、東北大学に留学していたこともあり、宮城県や東北地方というのはとてもなじみのある場所なのです。被災後どう変わっていくか、そこに住む人々がどう生きているのか、香港人として、東北に縁がある者として問題意識が強くなりました。
——震災とかかわるきっかけになったのが2012年に開かれたシンポジウムだそうですね。
それまでも石巻を訪問していますが、東北大学で開かれた「大震災と価値の創生」に参加し、研究者たちと集ったのを機に関心がより高まっていきました。その後、香港中文大学の先生と大学院生とともに東北巡礼をしました。 ——巡礼ですか。
被災地に足を運ぶたびに行くこと自体どんな意味をもつのか考えさせられました。仮設住宅を訪問するたびに胸がしめつけられる思いがしました。そのとき私は過去の歴史と向き合うことが今回の震災を深く理解するうえで必要なことなのではないかと思いました。そんな思いをもって巡礼したのです。私たちが歩いたのは陸前高田—気仙沼—南三陸—石巻—仙台市沿岸部—閖上—郡山—福島県田村市。観光スポットに行く感覚ではなく歴史、文学的な側面から再度日本の原点を見つめ直そうとしたのです。
——私も宮城と福島に取材に行きました。高齢者が多く住む仮設住宅を訪問しましたが彼らの抱えるストレスや不安は壮絶でした。現実問題として精神的なサポートの重要性を痛感しています。 まさにそうです。仙台を巡礼したときにお会いした住職さんも、心のケアの重要性を強く訴えています。彼らは政教分離原則が前提のため袈裟を脱いで住宅を訪問しているそうです。被災者が一番求めていることは心のサポートです。崩壊した建物の再建は可能でも心の復興はどれほど時間がかかるかわからないのです。「復興とは何か」を考えたとき、新しい生き方、価値観を求められるわけです。
被災者らとの語り合い
訪問するたびに、自分の無力さを感じずにはいられませんでしたが、それと同時に自分にできることはないか模索しました。哲学研究者という立場だけでなく一人の人間として。そこで立ち上げたものが福島県郡山市での哲学カフェです。
哲学カフェは1992年、フランスの哲学者がパリのカフェで始めたものです。日本では2000年ごろから入ってきて今では全国的に広がっています。特に震災後は東北地方で積極的に行われています。ここでは市民が「生」や「死」など、身近で大切な事柄をテーマに語り合い、参加者が肩書抜きの対等な立場で対話で気軽に話をする場です。もともと郡山には哲学カフェに興味を示した友人がおり、その流れで郡山市内の福島企業訓練センターで哲学カフェというイベントをやろうということになったわけです。周りにも協力してもらい、ポスターを作ったりチラシを作って駅前で配ったりして人を集め、昨年5月に香港中文大学の主催で立ち上げました。 ——具体的にどのような話を?
復興についてです。家とは何なのか。家は物理的な居場所ではなく、家族と一緒に過ごす場所です。復興というのは、つまり家から離れた人が家に帰ること。しかし現状はまだ厳しい。仮設住宅の居心地が良くないからといって他県への移住は歓迎されるのか、福島の女性が差別されるのではないかという不安。お年寄りにとっての故郷とは何なのか。ゆかりの土地やお墓が遠くなることはどういう意味をもたらすのか、東電の関係者は責任をとるべきだという話まで幅広く及びました。最初は黙っていた人も徐々に意見を言うようになり、白熱しましたね。市民たちがどんなことを日ごろ考えているのかということを一緒に議論できる公共空間が大変重要だと思います。 ——実際に始められてどうですか。
地元の皆さんが集まってくださいました。皆さんからも「震災後、復興とは何かという議論をしたことがなかった」「このカフェで初めて自分自身の意見を言えたのはすごくよかった」という声もいただきます。研究している立場としても、現場の声を聴くことが求められます。「人に自分の考えを話す」「声に出して伝える」ということはすごく大切なことですが、被災者たちはそれぞれの被災の程度が異なると、見えないところでの気遣いが少なからずあります。それがより一層人に話せない、自分で抱えこむ要因となるのです。現実的には原発問題など多くの問題が山積みではあります。そのなかで生きる人々への心に寄り添うことを忘れてはいけないのです。こうしたカフェの存在が少しでも被災者の心の復興に役立てられたらうれしいですね。
原発建設中のところが何カ所もありますから今後も増えていくとは思います。中国だけでなく新興国、途上国での原発建設も増えています。中国は一次エネルギーの総消費量で今では米国を抜いて世界第1位です。エネルギー消費量は過去10年間で2倍以上に急増していますし、電力消費量は一般家庭での冷蔵庫、エアコンなどの普及で急激に伸び、電力需給も高まっています。経済成長に必要なエネルギーの確保や二酸化炭素排出削減を優先する傾向がありますので、ドイツのように「脱原発」にならなかったのです。 ——中国では1976年の唐山大地震で死者24万人を出していますし、2008年には四川大地震が起きました。
原発基地は地震ベルトの近くにありますし渤海湾を挟んだ対岸には紅沿河原発があります。その距離はわずか200キロです。ただ東日本大震災によって少なからず中国国民の意識も変わってきています。昨年夏には広東省江門市で核燃料工場の建設計画に反対するデモが起こり、建設計画が白紙に返る事態がおきました。中国で市民の声により中止になること自体異例なのです。福島が中国に大きな影響を与えたと認識しています。 ——香港ではどうでしょうか。
香港の中心部から約50キロほどのところに広東省深圳市竜崗区の大亜湾原子力発電所がありますが、建設中にチェルノブイリ原発事故がありました。当時、香港では100万人を超える人々が建設反対の署名運動をおこしました。結局1993年に1号機が稼働し、続いて2号機も翌年には稼働しています。最近のメディアでは福島第一原発とは構造が異なることを専門家が主張しており、いかに大亜湾原発が安全かを強調しているのです。安全神話をつくっているといっても過言ではありません。また香港特区政府は原発による電力輸入を10%増やすことを決定しています。香港市民は原発の真実、原子力村問題の深刻さを十分に理解しているわけではありません。だからこそ震災後における情報発信が必要になってくるのです。こうしたなか風化させない思いをこめて雑誌『希哲』を制作しました。これは哲学研究者、大学生だけでなくメディア関係者、被災者の方など多くの方の声を形にしたものです。現状報告から、今を頑張って生きる人々まで、一人一人の思いがこの1冊につまっています。海外にいるとどうしてもすべての知識と情報が確実には入ってこないのです。ソーシャルメディアを通して発信することで、多くの人に知ってもらえることを願っています。
——震災から3年となる今年、どのような活動を考えていますか。 創刊したばかりの雑誌を引き続き出版していきたいと思いますし、さまざまな場所で講演会やイベントも行っていきます。「書を捨てよう、町へ出よう」には完全になりませんが、情報を待つのでなく自ら立ち上げて積極的に発信していきたいと思っています。 |
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