新春インタビュー
日中関係が厳しい問題を抱えながらも、香港では漫画・アニメなどの日本のサブカルチャーに対する人気は衰えを知らない。新年を迎えるに当たって、サブカルチャーを通じて日本とかかわり、香港と日本とを結ぶ懸け橋として活躍する香港人の方々にご登場いただき、今後の抱負などを聞いた。
歴史漫画家 李志清さん
歴史は長い年月を経て古代の賢者の思想や知恵が反映されているものであり、私たちはこうした人物の生き方そのものを通して多くを学ぶことができます。私は昔から歴史が好きでそれが高じて歴史漫画家になりました。大きな転機は90年代に日本で「三国志」の制作オファーをいただいたときです。三国時代は一言では語れない壮大な歴史があります。三国志ファンも日本には多いですね。漫画家として事実に基づいて忠実に描くためにも三国志に関する軌跡をたどり、いろいろな場所を訪ねながらじっくりと描いていきました。
どの時代も好きですが強いていうならやはり三国時代ですね。100年近く続く戦国時代のなかでいかに国を統一させるか、知恵を絞って統一をはかっていくか、その移り変わる様が非常に興味深いです。とは言うものの、いつの時代も争いは絶えず、それは今も変わりません。今も昔も根本的なことが変わっていないことは残念なことです。
まずは歴史と時代背景を知る。どのようにその歴史の登場人物たちを描くとより彼らが引き立つか、そして歴史がよりわかりやすく描けるかを考えていきます。あまりのめりこみすぎると主観で描いてしまいがちなので必ず客観的に作品をみるように時間をかけてながら制作しています。三国志に関しては2年かけて企画構想を練り描き始めました。10年制作し続け、一度休憩をとりながらトータル13年で完成させました。
当時外務大臣だった麻生太郎さんの発案でつくられた賞だったんですが正直とても驚きました。なぜならば私自身コンペティションにさほど積極的に参加してなかったからです。こんな素晴らしい賞をいただけるとは夢にも思いませんでした。
授賞式のときに麻生さんに初めてお会いしました。とにかく漫画が大好きで暇さえあればいつも読みふけっていると話していましたね。車のなかも漫画であふれているそうです。セレモニー後、私は彼に自分の作品を贈りました。それからしばらくして知人の記者が麻生さんのオフィスに行ったとき、私の作品が飾られている話をきいてうれしかったですね。
本当にそう思います。三国志の制作にとりかかる前に、別の作品のお話をいただいた時も日本の出版社の方でした。偶然にもその方は手塚治虫先生のアシスタントをされていた方でした。この方が香港にきて歴史漫画家の資料をみているときに私の作品を選んでくれたのです。こうしたご縁で三国志を制作する機会もいただきました。人との巡り合わせがいかに人生を左右するかすごく感謝しています。
離れていますから頻繁ではありませんが特に池上遼一さんとは交流は今もあります。池上さんは60歳を過ぎた今でも1日の半分以上は仕事。とにかく情熱がすごい方です。『キャンディキャンディ』などで有名ないがらしゆみこさんにもスタジオでお会いしましたが、本当に少女がそのまま大人になったようなとてもお茶目な方だったのを覚えています。
機会をみつけて開催しています。以前に横浜で個展を開いた時に、見に来てくれたご年配の夫婦から、日本で展示会を開いたことへの感謝の思いがつづられた手紙をいただきました。香港の住所にわざわざです。このときは本当に感激しました。言葉が通じなくとも絵は心で伝わるのです。今も私の励みになる大切な思い出です。
12年に行われた「活力日本展(外務省・日本領事館主催)」に参加し作品の展示会を開きました。また震災支援活動としてアジア7カ国の漫画家の仲間たちとともに急きょ合同誌を作ることになり、その売上金すべてを被災地に寄付しました。ここまで私が成長できたのも日本があってのことです。感謝の思いを忘れずに今後も積極的に日本での展示会をしていきたいと思ってます。
東京生活を基にエッセー本 マルチメディアアーティスト/イラストレーター 何達鴻(John Ho)さん
——とても柔らかい描き方が印象的ですね。 ありがとうございます。青い空、白い雲をイメージさせるような、どこかふんわりする、心がほっと落ち着くような描き方を心がけています。以前はもう少し濃い色使いで描いていましたが今のスタイルに落ち着きました。温かい色で描けば見ている人も心地よく温かな気持ちになります。描く側と見る側の距離感をとても大切にしています。
学校を卒業したあと出版社で雑誌「AMOEBA MAGAZINE」のグラフィックデザイナーをしていました。その間に自身の作品を雑誌のなかで発表するチャンスが来たんです。それがデビューですね。これをきっかけにいろいろと仕事の話が舞い込むようになり、99年に初めてこれまで描いてきた作品を集めた本を出版するまでになりました。どこにチャンスが転がっているのか分からないものです。
私のアートワークにChubby Bear(ぽっちゃりした熊)があります。これは自分自身を描いています。作品を描き始めた当初、実は肥満体で、熊のようだったというのがありますが(笑)。見る人がかわいらしい思ってくれて自然に笑顔になったり幸せな気持ちになってもらいたいと思っています。
日本人を代表する芸術家の奈良美智さんです。シンプルななかにも強い主張と鋭い感性をもたらす数々の作品は初めてみたときに衝撃を受けました。彼のこうした感性はかなり日々の作品づくりで影響を受けました。
海外で学ぶなら絶対に日本と決めていました。小さな国でも魅力がたくさん詰まっている日本には昔から興味とあこがれがありました。33歳のときに日本に行き新宿の語学学校に1年留学しました。とにかく日本の素晴らしいのは街そのもの。季節によって変わる景色はまるで絵の世界です。特に新宿御苑は美しく何度訪れたかわかりません。
生涯忘れられない出来事です。多くの人が帰宅難民になり途方にくれている光景を目の当たりにしました。でもそんな大変な状況のなかでも秩序を守っている日本人の姿には驚かされとても感動しました。他の国で同じことがあった場合、このようなことにはならないと思います。日本人の本質の部分を見たように思いました。
12年に出版した「東京肉肉」という本です。この本のなかの絵も自分自身は熊で表現し、思い出を写真とエッセーと絵を織り交ぜながら仕上げました。こうして本をだすことができたのも、東京で私を支えてくれた日本の友人たちのおかげです。
これまでもポスター、絵画展などやってきていますが、今年は「香港の昔と今」をテーマにして絵を描きたいです。家賃の高騰が続き、昔からなじみの小さな店たちがどんどん消えていきました。古き良き時代の香港から今にいたるまで歴史の移り変わりを描きたいです。
Café Matsuri茉莉珈琲館 マネジャー Lam Lam(小藍藍)さん
——いつオープンしたんですか? 09年。お菓子とロリータが好きなのでこの二つを取り入れた店をつくりたいと学生時代から考えてました。どこかヨーロピアン調を意識しながら日本のメードカフェスタイルを参考にして作った正統派メードカフェです。
そうですね。10年ほど前から徐々に増えてきています。特に旺角や油麻地は激戦区です。若者が集う繁華街であるうえに日本のアニメグッズや雑誌など売っている店が多く、日本のサブカルチャー好きの集まるスポットなんです。
萌え系カフェなどもありますが私たちは徹底した正統派で勝負しています。自慢は紅茶ですね。私自身がヨーロッパ文化が好きなこともあって、紅茶の茶葉の種類も豊富ですしティーカップもお客さんに選んでいただいて気に入ったもので楽しんでもらうようにしています。女性のお客さんも多いですよ。
お客さんとの気さくな会話をすることですね。一般のカフェは飲み物を買うだけですが、ここではお客さんとほどよく距離を保ちながらも自然に会話が生まれます。一人で来られる人もいますが、友達ときても店内で新たな輪ができることも多いんですよ。日本の文化、アニメの話で盛り上がることもありますし日本の情報交換の場にもなっていますね。おかげさまでリピーター率50%以上です。
昨年5月に互いのスタッフがそれぞれ香港と秋葉原に行って接客サービスをするという文化交流会をしました。今回で2回目です。日本の店のメードさんたちのプロ意識の高さには毎回驚かされます。香港に秋葉原のメードさんが来たときは店内に連日お客さんがあふれました。台湾や中国本土でも日本のメードカフェ文化は大人気なので、こうしたイベントを積極的にすることで私たちのスキルを磨くのと同時にカフェを広める活動をしています。
今、日々の生活や仕事に追われて自分の時間をゆっくりと過ごすことができない人が多い社会ですよね。こうした結果、特に若い世代は人とコミュニケーションをとることもうまくいかない人が多くなっています。疲労困憊の社会の中でゆっくりと自分を取り戻してほしいという思いもあって、私たちは癒やしの空間を提供しています。今の社会だからこそ、必要なものなのではと思っています。
今月2店舗目の「Matsuri Tearoomマツリ ティルーム」を旺角に間もなくオープンします。これまで以上の多くの種類の紅茶やスイーツを楽しむことができます。そして私たちのメード服もバージョンアップしています! ぜひ遊びにきてくださいね。
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