音楽産業でアジアに挑戦
経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。 (インタビュー・楢橋里彩)
——海外に出ようと思ったのは? 大学卒業後は外資系レコード小売会社に入りましたが、仕事をする中でなぜ日本の音楽産業が海外に出ていかないのかという漠然とした疑問が出てきました。その理由を確かめるべくコンサート市場が成長中のアジア圏に行こうと思ったんです。2007年に上海で語学を学び翌年に中国のコンサート運営会社に入りました。その時、日本の音楽産業の需要があると確信し、自身のアジアでの挑戦が始まりました。
04年に進出した弊社はコンサートやイベントでの音響提供やオペレーター業務、機材提供、日本や海外から来るアーティストのサポートなどを通してコンサートに関与しています。当初、香港ではどこも保有していなかったスピーカーを持っていて、それを扱う技術者も現地に乏しかったので日本からスタッフを派遣していました。ライバル会社が多い中、他社がまねできないことをすることで差別化を図りました。
日本ではほぼ予定調和の中で事前のスケジュール通りに事が進むのですが、香港ではそれが難しい。日本の仕事は確かに細かいです。技術者がなぜそこまで細かい作業をするのかという点を現地スタッフに教えるのが大変でした。最近でこそ徐々に理解が進んでいますが、安全基準、現場の空気もやはり違いますね。
極端な話、音は出ればいいと思うくらいのクライアントも確かにいます。ですが文化水準の高まり、お客さんの耳が肥えてきたという部分で、アジア圏のアーティストも有名になってくれば音響にもこだわりを持つようになります。そういう意味では日本の音響技術は高い信頼を得ていると実感しています。
昔から続いている四天王といわれるビッグアーティストは今でも根強い人気があり、その下があまり育っていないとよくいわれます。上の人気がありすぎるからともいわれますが、傑出したスターが生まれづらいのかもしれません。
音楽で食べていくというのが根本的に難しい環境かもしれません。楽器がうまくなった後、どういう道を選ぶか。日本だったら音楽教師、関連した仕事に就く、アーティストになるなど幅広い選択肢がありますが、香港はそこが乏しいです。音楽の仕事に対する概念が希薄なんです。スターが生まれにくというのは少なからずこうした環境の影響があると思います。
市場規模でいうと確実に大きいです。2級3級都市といわれる都市が勃興していくので、当然娯楽が必要になります。さらにコンサートの数が増えれば必然的に技術・技能の仕事が増えますし。何といっても本土は香港のお客さんと気質が違うと感じますね。
香港はミーハー根性が大きいですね。音楽の芸術性を愛でて、音楽が好きだからライブを聞きに行くのではなくて、テレビに出ている有名人だから行くというスタンスがやや強いです。一方、日本や台湾、北京では面白い音楽があれば聞いてみようという意識の方が強いです。今後の可能性でいえば本土は十分大きな可能性あると思います。ただ尖閣問題以降、日本人コンサートの許認可が下りづらくなりました。ただでさえ文化部に申請を出して2カ月くらいかかるのですが、この状況が続くとビジネスとして興行が打てません。今は台湾、香港に注力し、興行面では東南アジアも視野にいれつつあります。
映像にしても音楽にしても、まずはそれに触れる機会、興味を持ってもらう機会が大切です。インターネットにしかりテレビにしかり、そこに音楽やコンテンツを提供する場があって初めて火がつく場合もあります。そういう意味ではメディアがお客さんを育てることも必要だと思っています。
【楢橋里彩】フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。
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