香港バレエ団
~ 日本人ダンサーに聞く
ご登場いただいたダンサーの皆さん
香港バレエ団は1979年に設立されたアジアの名門バレエ団。マリウス・プティパの3大バレエである「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」のほかにも、「ジゼル」「コッペリア」「パ・キータ」「レ・シルフィード」「ロミオとジュリエット」「メリー・ウィドウ」などの人気古典作品をレパートリーに擁する一方、ジョージ・バランシンの作品や、コンテンポラリーの巨匠ウィリアム・フォーサイス、ナチョ・デュアトの作品にも挑戦している。 モダンバレエ「ラストエンペラー」や「ムーラン」「白蛇伝」「ファイアー・クラッカー(糊塗爆竹賀新年)」「フロッグ・プリンス(青蛙王子)」など中国に伝わる物語を題材にした独創的な創作バレエも多く手掛けている。
現在、日本人ダンサーは5人(男性3人、女性2人)。今回は江上悠さん、武藤万知さん、湯沢奈乙美さんの3人にご登場いただいた。
——バレエを始めたのは? 江上 先に始めた姉の送り迎えに付いていってるうちにです。外からスタジオを見ていたある日、先生が「君もやってみるか」と聞きました。当時野球少年だった僕にとってタイツを履いて踊るバレエはまるで別世界でしたが、音楽に合わせて体を動かすことにすぐに夢中になりました。 武藤 小学3年生のころに友達のバレエ発表会を見に行ったのがきっかけです。幼いころに新体操をしていたので、踊りは好きでしたが、トゥシューズをはいて華麗に踊る姿にあこがれていました。子供のころは飽きやすい性格だったからか親から許可をもらえなくて、1年粘って説得してやっと始めることができたので絶対やめるもんかという思いでここまできています。
湯沢 小学1年の時に母から「姿勢が悪いからバレエをやってみたら」と言われて気軽な気持ちで始めました。もともとX脚(反張膝)なので激しい運動には向かない体質なのですが、バレエの世界ではこの反ったラインがきれいに見えるんです。自分のコンプレックスがプラスになったのもバレエのおかげです。
——いつからプロを目指していた? 湯沢 コンクールに出て賞を取り始めてからプロになろうと決めましたね。 武藤 私も中学生の時に出たコンクールで賞を取ったのが大きかったですね。やはり留学して海外のバレエの世界をみたいと親に頼み込んで留学させてもらいました。これを機に決断しました。 江上 中学1年のころですね。11歳の時に家族とロンドンで英国のロイヤルバレエ団の公演を見たのが大きく影響しました。当時、ロイヤルバレエ団員だった熊川哲也さんの演技を間近で見たことで、日本人でも世界的なバレエ団で活躍することが出来るという事実が衝撃で、勇気と刺激をもらいましたね。
——香港のバレエ団に入るまでは? 武藤 高校からロンドンのバレエスクールに留学しましたが、最終学年の時にけがに苦しみオーディションも受けられなかったのでその後アムステルダムの学校に再度入学しました。そこで香港バレエ団に作品を提供した振付家が見に来て推薦をいただいたのがきっかけです。
——プロのダンサーとしての生活は厳しい? 湯沢 日本はその傾向があるかもしれません。給料は決して高くないのでバレエだけで生活していくのは厳しいですね。 江上 今日本で一番バレエダンサーの待遇の良いとされているのが、唯一国の支援を受けている新国立劇場バレエ団ですが、いまだに世界レベルとは言えず、日本の多くの「プロ・バレエ・ダンサー」達がバレエ団以外の仕事を引き受けたり、チケットをさばいたりして収入につなげている現状です。
——そういう意味では海外バレエ団の方が魅力的? 江上 正直、その当時から日本においてのバレエ・ダンサーとしての労働体制を知っていたせいもあり、日本を出ようと思いました。自分が愛することをするのであれば、それが愛されているところに行って学ぶのが一番正しいと思ったんです。
——香港バレエ団でのダンサーの労働体制は? 江上 香港バレエ団は1カ月夏休みと1週間の冬休みがあって、それ以外はリハーサルか公演です。基本的には4、5週間リハーサル、公演が1〜2週間。たまにツアーで招へいされると、海外や中国の他の都市を回る機会もあります。幸いにも香港バレエは12カ月契約で、政府からの援助もあるので、生活が保障される程度の月給を頂け、医療保険などもカバーされます。
——つまり年間契約? 江上 そうです。来年にはどうなっているかわからない。要らないと言われたらバレエ団を去らなければ行けない。厳しい世界です。 武藤 だからこそ皆モチベーションを高く持ってやっています。世界各国のバレエ・ダンサーの社会的待遇は国によってさまざまですが、極端な例として、北欧などはある年数働いた実績のあるダンサーたちに永久雇用制を取り入れています。その場合けがをしようが何をしようがバレエ団から首になることはないんです。ダンサーたちはすごく守られるわけです。ですがその半面、若い才能をバレエ団に取り入れる枠が狭まるという問題も同時に生まれてくるわけです。香港バレエではそれはありません。
——常に緊張感があるのですね。 江上 この状況がさらに個々を磨く原動力にもなっています。そんな中でけがをして踊れなくなっては大変なので、常に日ごろのケアは気をつけています。
——ケアも大変では? 湯沢 トゥ・シューズで長いことつま先立ちをしているので黒ずんでいるし爪がすり減ってしまっていることもあってネイルで隠したりします。 武藤 私はマメがすぐできるので、テーピングは絶対に毎日欠かせません。 江上 日ごろからストレッチやアイシングは家でやっています。その日の疲れはその日のうちに取るのがけがの予防につながり理想的なので、ハードな作品だと夜寝ながらアイシングをしたり、自分でマッサージをしたりすることもあります。
——香港バレエ団の魅力は? 江上 いろいろな人種が混ざっているバレエ団です。香港自体がアジアと西洋の接点であるようにバレエ団員も国際色豊かです。世界中の作品を香港にもってきて公演しているので、僕自身勉強の日々です。香港は日本食もあふれていますし街も便利です。とても居心地の良いバレエ団です。
——日本人ダンサーとして意識することとは? 江上 学生時代から海外の選ばれたバレエ・ダンサーたちの身体条件の良さを目の当たりにして来ました。だからといってその現実から目をそらさず、自分のどこを伸ばしてどう彼らと同じ「舞台」に立っていくべきか常に考えてきました。動きを正確にこなし、音楽性を大事にし、彼らが持たない、自分にしかできない表現を深く追求してきました。そんな中、テクニックの面や正確に踊っている部分などを他国のダンサーから「日本人だからできるんだよね」と言われることがあります。「根気強く、努力家、テクニック的に信頼できる」。それが先輩方も含め日本人ダンサーとしての傾向として張られたレーベルであることは認めます。ではその先には何があるのか? それを模索する機会を今、与えられていることに感謝しています。
——身体芸術としてどうバレエと向き合っている? 武藤 動きによって意味が全く変わってくるので、舞台のストーリーを的確に伝えられるようどう動くかということを常に意識しています。 江上 舞台芸術は、セット、音楽、照明、衣装、動きといったすべての演出があって一つになりますので作品づくりには気を配ります。ステップを紡ぎながら、客席からの見え方を考えます。
——江上さんはダンサー兼振付家としても活躍していますが
江上 チャンネルがそもそも違うので大丈夫です。作品の一部を演じるのと、全体を見渡すのはまた違うものですから。振り付けを最初に創ったのは日本にいた15歳の時だったんですが、そういう意味では日本での経験の延長線に今がある感じですね。
——まもなく公演が始まる「紅楼夢」はどんな作品? 湯沢 清代に書かれた小説が題材です。上流階級の貴公子たちとそこに同居する少女たちの風流生活について描いたものです。 江上 今回の振付家は元中国舞踊家の王新鵬氏です。セットも手が込んでいますし、衣装も興味深いです。中国舞踊独特の踊りとバレエテクニックのコラボレーションを楽しんでいただける作品に仕上がると思います。
——バレエに東洋の文学作品を取り上げるのは珍しい? 江上 中国では比較的珍しくはないですね。中国国立バレエ団は「紅衛兵(紅色娘子軍)」「レッド・ランタン(大紅燈籠高高挂)」、上海バレエ団は「白毛女」という代表作品をそれぞれ持っていますし、そのおかげで組織自体が中国の文化大革命を生き存えたという歴史もあります。日本でも中国とつながりの深い松山バレエ団が「白毛女」や「紅衛兵」の一部を以前日本で上演していますし、逆に西洋の振付家が東洋の文化に魅せられて作品を創ったケースも多々あります。三島由紀夫に感化されたモーリス・ベジャールの「M」、俳句を題材にした作品「月に寄せる七つの俳句」をジョン・ノイマイヤーも創っていますし、イリ・キリアンは「かぐや姫」などを過去に振り付けています。
——最後に皆さんの意気込みを。 湯沢 この作品は本来のバレエの動きとは違って歩き方一つとってもユニークです。東と西が入り混ざった新作全幕バレエをぜひ劇場に見にきてくださいね。 武藤 歩き方動作などテクニックを習得するのに大変でしたが、たくさんの方に見ていただきたいです。 江上 かつてアジアの絵画で表現されて来た平たい世界観をどう今の舞台で立体的に見せていけるか。そこに踊りと物語が絡むことで独特の世界観がつくれるのではないかと思います。香港のバレエ団だからこそ中国の古典作品をどう表現するべきか模索することに意味があると思っています。ここから世界にどう発信していくか、今後の大きな挑戦です。
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