経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。
国際分業でジュエリー製造
大手ジュエリーブランドの下請けメーカーからアジア市場を任され、マリッジリングを高級宝飾店に納めています。またオートクチュールジュエリーの制作や海外でジュエリー事業を行う企業のコンサルティングもしています。 ——最初に香港に来たのは70年代ですね。
駐在員として来ました。宝飾品担当だった私はダイヤの仕入れから商品の生産販売などすべて任されていました。さらにデザインも手がけて、7年間の駐在中はジュエリーのリメークもしました。文学部出身なのでデザインの勉強はしていませんでしたが、会社の命令でしたから必死でした。その間5000枚ものデザイン画を描きましたよ。 ——その後、起業されたのですね。
―55歳で立ち上げました。自分自身の中にあと5年で退職しなくてはいけないと思う寂しさがありました。定年を理由に退職していく仲間を多く見て、年齢で区切られることへの違和感を感じ、もっと自分らしい生き方をしたいと思ったのです。 ——起業する前はニューヨークにいたとか。
日本で作ったものを米国で営業販売する仕事をしていましたが、そのまま残ってビジネスをすることは考えませんでした。当時、仕事で世界中を回っていましたが、これからはアジアの時代だと確信していました。今後、中国が世界に影響を与え、より重要な位置になってくると思いました。深圳や上海などでジュエリー企業を調査し、香港で起業を決意しました。 ——中国はどう変化してきましたか。
ものすごい勢いで進化しています。日本で10年かかることが中国では2、3年で動いています。その一方で日本も中国も後継者がなかなか育たない問題があります。ジュエリー製造は決してきれいな仕事ではありませんので若い世代は好まないのかもしれません。 ——製造を分業化しているそうですね。
国際分業しています。中国本土、香港はもちろん、日本、米国、タイにもあります。それぞれの国の得意分野を生かすことでお客さまのニーズに合わせています。例えば米国の工場で結婚指輪を作っていますが、よく研究された指輪は金属を溶かす段階から違います。金属のレベルで、きれいな地金にして製造しています。こうした技術レベルがとても高いんです。ところで、こだわりのあるお客さまの注文はどの国に依頼すると思いますか。 ——日本ですか?
そうなんです。細かい気配りのある高い技術力、これはさすがにどの国もかなわない。安心してお願いできる職人さんがまだ日本にはいます。こうしたお客さまの場合は必ず日本に持っていきます。 ——香港経済が不安定な時期もありましたが。
リーマンショックの影響は大きかったです。すべての取引、輸出が止まり、そのままでは、会社の倒産は見えていました。自分の給料はもちろんなし。従業員に払うのが精一杯で、もうだめだと思いました。生き残りをかけるのにどうすべきか考えたときに、自分の特技は、リメークのノウハウだと思いだしたんです。 ——リメークが会社を救った?
そうです。業者間で取引が低迷した分、時間がとれたので久々にリメークを拡大していきました。宝石の性質を見分ける力、デザイン力は当然必要で、加工して問題ない石か、着け心地はどうか、加工の技術、お客さま自身にデザインが合っているかなど総合力が必要です。一時は量販を目ざし、リメークから遠ざかった時期もありましたが、どんな経験も無駄ではないと、このときほど強く思ったことはありませんでした。 ——将来の事業展開は。 マリッジリングの製造、卸しを強化して次の世代につなげたいです。幸い当社には米国、中国、日本、香港、タイをつなぐ国際的ノウハウがあります。常に最先端の技術で上質なリングを手ごろな値段で提供していきたいですね。それとアジアブランドをつくりたいですね。アジアから発信してアジアで構築する。そして、欧米に伝わるのが理想の構図です。 (この連載は月1回掲載します)
【楢橋里彩】 |
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