香港で輝く日本女性 才色兼備の起業家
【インタビュアー・楢橋里彩】
日本スタイルのネイルサロン
aQuaeria nail salon Director 西田恵理さん
——やわらかい空間のサロンですね。 昨年8月に移転したのですが、コンセプトは家に来たようなアットホームな雰囲気でパリのアパルトマンをイメージして作りました。
前あったサロンの大家さんと更新について話をしていたけど長引いてしまって。その流れで他の物件も市場調査を兼ねてみていたら、理想のスペースを見つけたんです。ラッキーでした。
普段は慎重なんですが、移転に関しては直感でした。前よりスペースも狭くなりますが、初めて見たときからここで自分が働いているイメージができていた。実際に狭いなりにもスタッフとのチームワークが一段とつくれるようになりました。どんなこともどうとらえるかで見え方が変わってくるものです。
実は日本の美容関連の企業の内定も出ていました。でも漠然と海外で働きたいという夢があって、社会未経験である現実を後回しに、無謀にも思い切ってこちらに来てしまいました。
若気の至りですね。根拠のない自信があったので何も怖くありませんでした。10年前の香港は日本人のネイリストがほとんどいなかったんですよ。今でこそ香港には500近い店がありますが、当時は50店ほど。セントラルも4店しかなかった。絶対に日本のネイルははやると思っていました。
技術力とサービスです。当時の私の技術も今思えば大したことありませんでしたが、それでも全然違った。日本人として培った技術と香港にないサービスを徹底して極めていこうと。
ヘアサロンで働いていましたが、2年たったころサロンの中にネイルセクションを設けることになり、3席分の小さなスペースを作ったのが始まりです。 1人で店をオープンする資金もなかったですし。その後徐々に軌道に乗ってきて、お客さんも増えていきました。そこで新たに物件を探していた時、共同経営でサロンをやらないかとオーナーに声をかけられました。経営ノウハウも何も分からない私にいろいろな助言をしてくれた周りの香港の人たちには本当に助けられましたね。
最初は香港人のお客さんが日本と香港のネイルの違いが分からないということもあり、値段を安くして来店しやすく工夫しました。とにかく日本のスタイルを知ってもらうのに必死でしたね。
香港のサロンと環境が全く違うので、ここで働くとどうなるかというイメージをつくってもらうようにしています。ギャップがありすぎるので、いきなり辞めないようにするための対策でもありますが、気をつけているのは自分の価値観を押し付けない、できる限りのことを教えていこうということです。
ネイルサロンは本当に入れ替わりが激しい世界です。だからこそ技術は徹底してこだわっています。この10年やってこられたのも、お客さんが安定してきたというのが大きいです。始めたころに比べお客さんが他店とうちの違いが分かるようになってきたということです。現在「早く、うまく、長持ち」を3本柱にやっています。特に香港はスピードを重んじる社会なので、そこを意識しながらやっています。
日本と香港の架け橋のような役割になりたい。日本の若い世代の意欲と情熱を促し、小さな可能性をサポートできるような立場になりたいです。それから独立支援もしたいですね。店舗も増えてきたので教育制度を充実させ、人材育成にもさらに力をいれてきたい。10年前の自分と重ねながら今の私にできることは何かを考えています。
ジュエリーデザイン会社を設立
N.T.C.Co 代表 鶴田奈央子さん
——来港当初はジュエリーデザインの仕事はしていなかったそうですね。 そうなんです。最初は金融系の企業で仕事をしていました。漠然としたいことはありましたが、すぐに形にせずに資金をためて慎重に動いていましたね。でもファッションもデザインも好きなので、ゆくゆくはこれで食べていきたいと考え、2004年にフリーランスデザイナーとして活動を始めました。それと同時にシルバーアクセサリー教室も開講しました。
何だかんだで香港はとても仕事がしやすいんですよ。さまざまな国の中心に位置するので素材の調達が安値で実現し本での生産でコストを抑えることも可能になります。
狭いなりに良くも悪くも結果が出やすい環境ということ。例えば日本ならデザイナーはたくさんいる上にドレスもジュエリーもあふれているし、コストがかかるしすぐに結果が出にくい。そういう意味ではやりがいのある場所だと思います。昨年はミスアジアのチャリティースポンサーもしました。こうした挑戦はやる気につながっていきますね。
大きく違いますね。デザインの観点でいえば、香港人や西洋人は大きなものが好き。日本人は小ぶりで華奢なものが好きなんです。面白いのは香港では証明書、鑑定書のあるものを買いますが、日本人はデザインを重視する人が多くてダイヤの価値は二の次。明確に出ますね。
09年の香港ファッションウイークがデビューです。ファッション全体が好きだから服もデザインしたいと考えていました。幼いころから海外に住んでいたことが多かったので帰国するたびに日本がますますよく見えて。伝統的なもの、特に着物の美しさをもっと世界に伝えていけたらと思って始めました。
自分ができるファッションデザインにつなげたかったんです。特に着物は着ること自体大変な上に知識がない外国人が着るのはもっと大変。ドレスにアレンジしたら身近に感じてもらえるのではと。
生地幅が狭いし直線のものだから、それをあえてドレスの腰のくびれに合わせて作るのが大変。生地の幅と柄の合わせでいつも苦戦します。始めたころは香港のテーラーを使いましたが、昨年からは日本にシフトしました。コストは少し高くなりますが、さらに良いものを作りたくて。
確かに気持ちは変わりました。ただ外国人のテーラーは高価な生地という感覚があまりないせいか、大胆に切っていくことができましたが、日本人の方がむしろ逆で躊躇します。価値を分かっている故ですよね。その分とても丁寧に扱ってくれるので信頼と安心はあります。
重さはないです。裏地も全部取っているので普通のドレスを着る感覚です。今までオートクチュールが多かったのですが、値段をぐっと下げてもっと気軽に着てもらえるようなドレスを考えています。色鮮やかで古典柄を中心にもっと作品を増やしていきます。
もっとマーケットを拡大しても自身のブランドを世界に広げていきたい。アートの仕事はすぐにお金や成功に結びつくわけではないから心が折れそうになることもたくさんありますが、あきらめない粘り強さを持って挑戦し続けたいです。
内装デザインに進出コンサルも
株式会社ワイルドベリーインターナショナル代表
——香港に初めてきたのは? 1996年に中国返還前の香港を見ておこうと3泊の旅行で来たのが初めて。深夜営業をやっている店が多いことには驚きました。ハローキティや日本の人気俳優が出演しているドラマの海賊版が氾濫していて、しかも雑貨屋やDVD店だけでなく薬局やレストランでも売られており、売れる場所ならどこでもというスタンスにはカルチャーショックを受けましたが、独特のエネルギーそしてそんな日本ブームに目をつけ、自分が挑戦してみたいことがここにあると感じました。
何度か視察に訪れましたが、すぐではありませんでした。返還直後ということもあり投資ビザを取得するのが難しかったため、まずは香港中文大学で広東語を勉強しました。こちらで仕事をするからには現地の言語ができないと不便だと思ったので。その後、縁あって内装関連の企業に就職し、永住権を取得してから2006年に起業しました。このとき就職した経験も今の事業に大いに役立っています。
年齢や性別の差があまりない気がします。これは特に女性にとって大きいと思うので起業する環境としてさらに好条件。英国領であったことが影響かと思いますが、香港人の男性も一般的に優しくレディーファーストも板についている。また女性がボスになることに抵抗がない文化です。多国籍の人々が生きているからこそ先入観なしにすっと入ることができる。そんなところは魅力ですね。
香港・華南ではオフィス、店舗、住宅などの内装デザインと施工をしています。 日本国内向けには香港進出に関するコンサルティングを行っていますが、特に実務経験が豊かな小売り・卸、店舗展開などサービス業を得意としています。香港15年目になるので培ってきた経験を生かして現地視察や撮影などの現地コーディネートも承っています。
最初の数年は本当に苦しかったです。社名が浸透していない分すべてがゼロからのスタートでしたから。でも決してあきらめなかった。石の上にも3年と言いますが、すごく実感しています。継続することの大変さと大切さを知りました。
現地スタッフの教育と管理です。価値観の相違もあったと思いますが、特に店員さんの場合は転職しやすく育てる前に辞める人や突然来なくなる人もいたため、その穴埋めに苦労したことやスタッフ間のトラブルで警察まで出向いたこともあり、起業後しばらくは従業員の問題で頭を抱えた日々が続きました。
例えば仕事への意欲。労働賃金が目的以上に自分のキャリア向上や責任感の問題などが付随してくるものだと思うのですが、その感覚がないようですね。一緒に夢や目標を語り合うのが難しかった気がします。でも彼らから現実的な物事の考え方を学びました。
近年、家賃の高騰が激しい上に中国本土でも人件費や原材料などコスト面がますます高くなっているため製造業ではインドやミャンマーといった新興国にシフトしている傾向にありますが、私が展開している小売りや飲食業、日本の優れたノウハウを生かしたサービス業などはまだまだ香港でもチャンスがあります。今後進出を考える日系企業を内装工事面も含め全面的にサポートしていきたいと思っています。 |
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