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最新号の内容 -20111021 No:1344
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進化する中国3局体制で対応

 経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。
(インタビュー・楢橋里彩)

丸紅中国副総代表/丸紅香港華南有限公司董事長兼総経理

米田弘隆さん
 
【プロフィール】
 一橋大学法学部卒業後、1977年に丸紅入社。86〜89年イラン駐在にて産業・化学プラント担当。90年代後半は主にインドネシアにて、セメントプラント担当。2005〜08年、丸紅イラン会社社長として駐在。10年4月より香港に駐在、現在に至る。
 
 
——商社というと一言では表現しにくいのですが、どんなことをされているのですか。
 生活はもちろん、経済活動に必要なものをすべて安定的に供給する役割を持っています。社会貢献につながる分野を手掛けることもありますし、資金調達の手助けもします。
 
——丸紅香港華南の役割、位置付けは何でしょうか。
 丸紅中国のオペレーションは北京、上海、香港と3局体制です。中国全体では13都市に支店があります。香港は南部を中心に6省2地域で営業を行っています。香港独自の役割となると昔はファイナンスセンターとしての機能が一番大きかったですが、改革開放後の中国本土へのゲートウエーという位置付けが今では一番大きな役割ですね。
 
——香港経済をどのように見ていますか。
 第12次5カ年計画でも香港の位置付けをクローズアップしていますし、特に中央から見ると香港は国際金融の役割が一番大きいですね。人民元のオフショア取引も増えてきていますし、香港が一番扱いやすいですから役割としては相対的に高いです。いずれ上海に中国の国際金融センターが移行するのではと思いますが、まだ時間はかかると思います。
 
——5カ年計画の話が出ましたが、これは丸紅香港華南としてどのような意義をもつのでしょうか。
 中央から香港・華南を見たとき、経済発展や格差をなくすためにも購買力の向上が大きく影響すると思うので、商社としてはますます中国を市場として扱う方向に向かっていくと思います。また低炭素社会の実現という意味では環境・省エネ技術で日本は優れたものをたくさん持っているので、商社として紹介していきたいところです。
 
——今後のビジネス展開について教えてください。
 大きな国なので私たちの物差しでははまらないこともありますが、こうして中国を見ていると着々と進化し続けています。この国が少しずつ変化しているというのは絶対量としてはものすごく大きいんですね。そんな中国へどう切り込んでいくかですね。丸紅香港華南は化学品と繊維、広州が傘下にあるので自動車産業関連が大きな柱となっています。これをさらに拡大していくとともに、香港・華南から中国本土・マカオを見たとき、どの分野でわれわれの機能を生かして新しいトレード・投資につなげていけるか模索中です。
 
——どのようなビジネスを考えていますか。
 例えば動物の飼料。これを南部でどう展開していくか。飼料にはトウモロコシや大豆のかすを使うのですが、例えばうちが中国に大豆を入れて、それをつぶして油を搾った後のかすを飼料にする。それで家畜として育て、販売するというチェーンができないかとか。また金属資源。香港資本で中国向け鉄鉱石の輸入権を持っている会社が結構あるので、そういう企業と提携して中国市場へアプローチするとか。
 
——いろんな切り口で考えると未知数ですね。
 面白いですよ。例えば今、スマートコミュニティーという計画がたくさんあるんです。省エネ、交通システム、上下水道処理施設などの社会インフラやビル、住宅などを情報通信技術でつないで地域社会をつくるものですが、商社としてシステム作りなどの可能性もあります。
 
——まさに国が豊かになってきている象徴ですね。
 都市人口がますます増えていく中国で少しでも問題解決になると思いますね。そのためにも私たちも何ができるか今あらゆる視点から考えています。
 
——米田さんはイランにも駐在されていたのですよね。最初の駐在時期はイラン・イラク戦争真っただ中だったのでは?
 そうなんです。空爆はあるし、毎日3時間は停電になりました。当時はメールなんてまだないし、ファクスも禁止でテレックスのみ。国際電話も盗聴されていますので、なかなかつながらない上に3分で切られました。でもイランは好きな国です。テヘランは四季があって冬は雪も降りますし食べ物は最高です。刺激的でしたが今でも恋しくなりますよ。
(この連載は月1回掲載します)

【楢橋里彩】フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。