香港ポスト ロゴ
Google:
  サイト内 google
  ホーム
  読者の広場
  クラシファイド
  配布先一覧
  バックナンバー
   
 
 
 
 
最新号の内容 -20170512 No:1478
バックナンバー

あなたが四川省へ行くべき36の理由
第12回  観音様のきた道

遂寧市の中国観音故里旅游区

 四川省は中国の内陸部にあり、山に囲まれた豊かな自然の中で、独自の文化を育んできた古い歴史を持つ地域です。近年、四川省は経済発展に伴い交通網が整備され、改めて「観光地」として注目を集めています。変貌する「蜀の国」を旅しながら、中国の今を探ってみました。(編集部)

霊泉寺の観音閣は七層構造で全長49メートル。霧雨の降る中、山頂で燃え立つ炎柱のように、鮮やかな瓦屋根を四方に反らせてそびえ立つ姿は荘厳であった 

 

元始、観音は男性であった

 四川取材旅行の最後の訪問地は遂寧だった。遂寧は成都の西150キロメートル弱の地点にある。日本で遂寧はあまり知られていないが、ここは「観音菩薩の故郷」として有名な地域である。

 元来、インドで仏教が誕生した時、観音菩薩は男性であった。インドから中国へ仏教が伝わった当初も、敦煌の壁画に描かれた観音菩薩には口ひげが描かれていた。

 それがなぜ女性の姿になったのか。中国では南北朝時代(西暦439年〜589年)以後に仏教が流行したが、特に上流社会の女性信者が増加したといわれている。その際に、仏教の羅漢や菩薩がみな男性の姿であるのに疑問が持たれるようになり、女性の姿をした信仰対象が求められた。観音菩薩は33の異なる姿に身を変えて衆生を救うとされ、性別も自在に変えられ、女性には女性の姿で説法するといわれるため、観音菩薩が最適として選ばれたようだ。中国では宋代(西暦960年〜1279年)以後、観音菩薩は女性の姿で描かれるのが主流となった。

霊泉寺の観音像は、全長18.6メートルで、屋内に安置された観音像としては中国最高のものとなる

 仏教はインドから新疆に入り、それから中国西部へ伝来するが、南北朝の時代、遂寧の一帯にあった「興林国」の第三王女である妙善が出家して、のちに観音菩薩となった…という伝説が残されている。遂寧はそのような歴史的事情と伝説から、「観音の故郷」として中国全土に知られるようになった。

 

《31》霊泉寺と妙善伝説

 伝説の王国のお姫さまであった妙善は、父の妙荘王が勧める縁談を断ったために家を追い出され、霊泉寺で尼になったと伝えられている。その霊泉寺は遂寧に現在もあり、多くの人々の信仰を集めている。

 そのような由来を聞くと、霊泉寺は不本意な縁談から逃げるための尼寺のような気もするが、伝説には続きがある。

 妙善の出家後、父王が病を得て重体となった。妙善は自らの眼と手を犠牲として父を助けたが、その後失われた妙善の眼と手は復活し、続々と生じて千手千眼になった…というのだ。

遂寧は、観音文化の郷として中国の内外に知られている

霊泉寺に参拝へ向かう人々。取材時は老女が多くみられた。雨降る中、黙々と列を成し、進軍するかの如く真剣に歩き続ける。物見遊山の気配はなかった

 たぶん、中国で仏教を広めるために、観音菩薩の化身伝説と親孝行・病気平癒の現世利益を加え、妙善伝説が創作されたのではないか。

 現在も霊泉寺では毎年、妙善の誕生日(2月19日)、出家日(6月19日)、/I:n日(9月19日)に法会が執り行われ、中国の内外から多くの参拝者が訪れている。そこから考えると、霊泉寺は観音信仰の形を取った「妙善信仰」の寺である。

 長い参道を登り詰めると、ようやく観音閣が現れる。参道を歩むことそのものが信仰であり、苦行のように思えてくる。最後の階段で、老女たちはヘトヘトになっていたが、それでもなお旗を高く掲げて行進を続けている。

 山頂は煙雨に霞んでよく見えなかったが、登りきると天を衝くかの如く巨大な楼閣がそびえていた。老人の団体客は雨も坂も物ともせず、進軍するように歩み続ける。ここは観光地でもあるが、彼らがやっているのは観光ではない。観音菩薩の功徳を得るための巡礼であり、苦行である。この寺の参拝は、一種の神秘体験と言っていい。

 中国の仏像は、日本とは違って極彩色で、古びた感じのものは少ない。中国人は、色鮮やかで、キンキラキンのピカピカした仏像がありがたいと思うものらしい。私は長年こうした中国の仏像に違和感を覚えていたが、この霊泉寺の観音像には思わず息をのんだ。

 屋内のものとしては中国最高といわれる巨大な観音像が、全身に金色をまとって輝き、光を放って私を見下ろしている。重病の父王を助けるために、わが身を犠牲にした伝説の第三王女が、巨大な観音菩薩に化身して、いま私の前に立っているのだ。そして「伝説」を巨像へと結実させたのは、千数百年にわたり法難を乗り越え、信仰を守った無数の中国人の信心に他ならない。

 ふと視線を下ろすと、私の周りは全身全霊で観音菩薩に祈りを捧げる老女たちに囲まれていた。彼女たちは何を祈っているのだろうか、それを知りたくなってきた。

 

《32》土家料理

 遂寧市での取材中、ずっと雨に降られて身体が冷え切っていた。10月の初めであったけど、四川の秋雨は冷たかった。

 取材旅行は楽しかったが、1週間以上続くと食事に変化が欲しくなる。そこで、多くの客でにぎわっているレストランを見つけて入ってみた。

そもそもは離れた場所から湯を注ぐためのものだろうが、この特殊なヤカンを鮮やかに使いこなすのが「芸」となっていて、それを見るだけでも面白い 

 表の看板には「土家料理」とあった。「土家」とはトチャ族のことである。トチャ族は湖南、湖北、重慶に分布する少数民族だが、遂寧市はちょうど成都市と重慶市の中間の距離にあるため、トチャ族の料理店が開かれているのだろう。そう言えば、四川省には多くの少数民族がいて、今回の取材旅行ではいろんなレストランに入ったものの、少数民族の専門料理店はこれが初めてだった。

 注文した料理を待つ間、まずは八宝茶とお通しのゆでたトウモロコシや芋の類が出てきた。八宝茶は、香り高い茶葉に漢方の薬材や花や氷砂糖がたっぷり入り、茶と花の香りに薬臭さが入り混じって甘ったるく味がクドいものだから、普段は飲まない。ただ、ここでは出されるままに自然と口に運んで飲んでしまった。茶がのどを通って胃袋へ落ちると、冷え切った身体の隅々に、温もりと甘味が行きわたるようで、濃厚な香りが疲れた身体を柔らかく包むように癒やしてくれた。

八宝茶。茶葉に漢方の薬材やら花、そして氷砂糖を加えたもの

トウモロコシ、落花生、山芋などを蒸したもの。茹でるとお湯に素材の味を持っていかれて水っぽくなるが、蒸すと素材の味が濃厚に残っており、口中に含むと香りと味がじゅわわわ…と広がる。少し土のニオイが残っているけど、それがいい 

 旅が1週間を越えて、私の身体も随分「四川化」し、味覚がこちらに合ってきたのかもしれないが、八宝茶は本来、疲労や身体の冷えを癒やすための「中国式エナジードリンク」ではないのかと気がついた。胃が温まって、身体に生気が戻ると、食欲がふつふつと湧いてきた。

 

運ばれてきた土家料理の数々 

 水煮魚(魚の激辛唐辛子スープ煮込み)をメーンディッシュに、肉と唐辛子のいためもの、トウモロコシと豆とハムをお椀状にこねた小麦粉の皮に入れて食べるもの…などが並んだ。これらは一般的な四川料理であるが、豚肉の燻製のようなものがあり(写真右)、これはトチャ族のものなのかな、と思ったが定かではない。水分を飛ばして、味が濃厚に凝縮された肉片は程よい歯ごたえ、いぶされて余分な脂を落としているので思いのほかアッサリしている。

 特に「少数民族」の料理であるのを感じるところは少なかったが、どれも丁寧に手をかけて作っているのが伝わってくる素晴らしい料理であった。

 

《33》広徳寺

広徳寺は勅令で創建されたのにふさわしく、建物は豪華であり、皇帝の権威の象徴である龍の姿が随所にあしらわれている 

 広徳寺は、西暦618年に創建されたといわれるので、既に1300年以上の歴史を持つ。別名「西来第一禅林」とも呼ばれる。すなわち、禅宗の寺である。

 禅宗と観音様がどこで繋がるのかを調べてみると、この寺は唐王朝の時代に皇帝の勅命で建てられたが、西暦767年に第四代皇帝中宗の孫にあたる克幽禅師がこの寺の住持となった。つまり名実共に唐王朝の寺となったわけで、その同じ年に「保唐寺」と名称を変更している。

 そこで、克幽禅師は観音菩薩の化身であった…という説が出てきたわけだが、なぜ「観音菩薩」なのだろうか。そのあたりは理由がよくわからないものの、先述の妙善伝説は南北朝の時代にさかのぼるといわれているし、妙善が出家したと伝えられる霊泉寺は西暦518年に創建されているので、克幽禅師の住持就任の249年前には、この地に観音信仰があったと思われる。たぶん先行して、この地で流行していた観音信仰にあやかって皇族住持を観音菩薩の化身とし、唐王朝の権威を示そうとしたのか、民衆の人気取りをしたのか…と想像する。

座禅を組む僧侶 

僧侶が廊下で休憩しているのか…と思ったが、彼らは日光で経を読んでいた 

 民間で伝説の孝行娘を信仰していたところに、朝廷が便乗したような形式なので、あまり聞こえの良い話ではないが、それほどまでに、当時この地の観音信仰は大流行していたのか。そもそも先述の通り、観音菩薩は性別関係なく、33の異なる姿に変身するので、「化身説」を立てやすいのもあったのだろう。

 霊泉寺が「民衆の寺」であるとすれば、広徳寺は「修行の寺」である。とにかく、寺のどこを見ても座禅を組んだり、経を読む姿が見られた。

 一般的に中国の寺というのは、どこかしらにぎやかで観光地化した、「寺のテーマパーク」みたいなのが多いような気がするのだが(すみません)、この寺にはそういう気配がない。取材時は雨降りで他の参拝客が少なかったのもあるだろうが、雨の音と経を読む声だけが静かに響いて、他の話し声は聞こえなかった。しばらく耳をすましていると、私の心の中にも雨の音と経の声が染み込んでくるのが感じられた。

 耳をすましていると、どこからか低い唸り声が聞こえてくる。たくさんの声、規則的な音。どこかで大勢で経を読んでいるようだが、場所がよくわからない。

 音を頼りに境内を歩いていると、奥にある建物から読経の声とたくさんの足音が聞こえてきた。窓が開いていたので、そこから中をのぞき込んだ。

延々と経を唱えながら、堂内を歩き続ける僧と信者 

 全員で百数十人ぐらいか…堂内にいっぱいの人々が、手を合わせ、経を唱えながら、歩き続けている。僧もいれば、一般の信徒もいる。信徒の多くは老女である。一心不乱に経を唱えているので、私がのぞき込んでも誰も気づかない。撮影のためにカメラを向けると一瞥するものの、怒るわけでもなく、ほほ笑むわけでもなく、ただこちらを一瞬見るだけだ。心は全く動かない。経を唱え続けることで、無我の境地へと至ったのか。

 彼女たちの読経を聞いていると、それらは悲痛な響きに聞こえた。泣き声にも聞こえた。怒っているようにも聞こえた。悔しそうにも聞こえた。

 霊泉寺でもそうだったけど、広徳寺でも参拝者の多くは老女であった。老齢を迎えた女性は、何のためにそこまで真剣に祈り続けるのか。自分の長寿や、子や孫の健康、立身出世を願っているのか…。

 いや、老女たちは亡くなった人々の成仏を願っているのではないか…ふと、そんなことを思いついた。ああ、そうだ…私は前回、落鳳坡の紹介で書いた、四川大地震の被災者たちを思い出した。旅の間にあちこちで見かけた地震の痕跡を思い出した。旅の間に出会った、さまざまな人々の顔が脳裏に浮かんできた。

 老女たちに、1人でもいいから話を聞いてみたかったが、彼女たちの真剣な姿を見ると、誰にも声を掛けられなかった。

 私はしばらく窓越しに手を合わせ、静かな心で祈りを捧げた。

 旅を続けて1週間…私の取材はいま始まったばかりなのに、これから成都へ帰らねばならない。この取材では同行者がいるため、私1人だけ残ることは出来ない。

 車が走り出した後、しばらく沈黙が続いた。私の頭の中では、まだ老女たちの経を唱える声が聞こえていた。振り返って車窓越しに広徳寺を探したが、すでに遠く離れ、雨煙に遮られて見えなかった。

 こうして、四川取材の旅は終わった。(つづく)