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最新号の内容 -20170310 No:1474
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香港の裁判の秘密 
英語が広東語より高級?
 

ケリー・ラムが贈る香港夢

ケリー・ラム(林沙文)

(Kelly Lam)教師、警察官、商社マン、通訳などを経て、現在は弁護士、リポーター、小説家、俳優と多方面で活躍。上流社交界から裏の世界まで、その人脈は計り知れない。返還前にはフジテレビ系『香港ドラゴンニュース』のレギュラーを務め、著書『香港魂』(扶桑社)はベストセラーになるなど、日本の香港ファンの間でも有名な存在。吉本興業・fandangochina.comの香港代表およびfandangoテレビのキャスターを務めていた

 

  「今世紀の大事件の1つ」と言っても過言ではない汚職事件がありました。香港特区の曽蔭権(ドナルド・ツァン)元行政長官が2月17日の陪審員裁判によって、「公職人員、行為失当(公務員の行為過失)」という刑事犯罪で有罪が確定し、同月22日には20カ月間刑務所に入るという判決が言い渡されました。

    曽元長官は在任中に、行政会議で雄涛広播(現・数碼広播)の放送ライセンス発給を討議している際、雄涛広播の大株主である黄楚標氏と深圳市の高級住宅「東海花園」の賃貸交渉を行っていることを報告しなかった件と、何周礼氏の叙勲を推薦する際、何氏が東海花園の物件の室内設計を担当していたことを報告しなかった件という2つの罪状で起訴されていました。

 私は事件に関する小さな記事が目にとまりました。曽元長官の判決が出る前、2月18日付の某香港紙に「曽元長官が毎朝、裁判に関するミーティングで弁護士に、陳述や弁護発言で難しい英語を使わないように要求している。曽元長官は陪審員にわかるようになるべく簡単な英語を使うよう努力している」と書いてあったのです。

 この記事は日本人読者にはピンとこないと思いますが、裁判で英語や広東語の使用が被告や陪審団にどのように影響するのかということを暗示した記事です。私ケリー・ラムの個人的な意見ですが、今回は「裁判の秘密」をお教えします。


勝負のカギは言語

 まず勉強すべき案件を1つ紹介します。2014年に香港税関で中国人女性の荷物の中から大量の毒物が見つかりました。女性は「全く知らない。貿易商の外国人に頼まれて商品サンプルを預かっただけ」と弁解しました。裁判では21年間の懲役が言い渡されましたが、最終的に上訴が認められました。

 上訴が成功した原因は1つ。毒物押収時の女性(被告)の発言が「告白」かどうか確定できなかったからです。摘発当日に税関職員たちは女性の目の前で検査を行い、ヘロインだという結果を広東語で報告し合いました。そして1人の職員が広東語で「これは何ですか?」と聞くと、女性は即座に広東語で「我唸呢D係毒品啩」と答えたというのです。直訳すれば「私は思う(考える)これらは毒品でしょう」となります。

 裁判は英語で行われたので、被告の広東語のその発言を法廷の通訳が「私は、これは毒物だと思う」と訳しました。法廷では、被告の発言が「告白」かどうか陪審団が審議します。もちろん裁判官は陪審員に、被告の発言は毒物の検査が目の前で行われた後に税関職員の質問に答えたものだと注意を促しました。

 最終的に被告が上訴できた理由は5人の裁判官の意見が「被告の答えはあいまいである」と一致したからです。広東語の「啩」は英語に全く同じ意味の単語はなく、翻訳しても元の発言と100%同じになることはありません。「と思う」は肯定に近いけれど、「啩」の本当の意味は「だろう」「でしょう」です。確実な肯定ではありません。そのため、この女性の発言は「告白」とみなされませんでした。

 しかも「告白」かどうかを陪審団に決めてもらうというのも被告に不公平となりますから、本来は最初からこの女性の発言を陪審裁判まで持っていってはいけなかったのです。だから上訴できました。つまり、この案件から学んでほしいことは、言語の重要さ、そして法廷通訳の英語と広東語の翻訳の重要さです。裁判(陪審員裁判)の勝負のカギは言葉なのです。これこそ裁判の秘密です。


難しい法律専門用語

 では曽元長官の話に戻りましょう。曽元長官は外国人弁護士に「裁判では簡単な英語を使ってください」と頼みます。なぜか? 曽元長官は、香港人の陪審員には通じない英語があり、わからない法律の専門用語も存在するということを知っているのです。

 それならなぜ曽元長官の裁判は広東語ではなく英語でするのか? 裁判にどんなルールがあるのか? 刑事案件の場合、もし裁判官、弁護士、検事、被告も香港人または中国人ならば裁判では広東語を使います。英語を使いたい場合、外国人弁護士を雇用すれば英語を使用し、全ての裁判の段取りも英語でやることが決まっています。英語を使用する場合、香港人や中国人の被告のために通訳が付いて内容を同時通訳します。

 法廷の通常のやり方は先に弁護士、検事、被告の人種、言語を確認してから、その案件を香港の裁判官か外国人の裁判官に渡すかを決めます。次に裁判が始まる前に関係書類をたくさん翻訳しなくて済むようにします。中国語の書類が多ければ広東語で、英語の書類が多ければ英語で裁判します。だから被告が英語を使いたければ最初から外国人弁護士を雇います。広東語を使いたいなら香港人の弁護士を雇えば広東語で裁判できる可能性が高いです。


お金持ちなら英語裁判

 では曽元長官は簡単な英語にこだわるのに、なぜ外国人弁護士を雇用したのか? 理由は2つ。まず被告は香港の元トップですから、外国人でも香港人でも香港にいる検事はおそらく曽元長官と何らかの面識があると考えられます。検事側はそこまで心配し、わざわざ英国から有名な検事を呼んで曽元長官を訴えました。そして検事が外国人なので曽元長官も弁護士に外国人を選んだのでしょう。

 もう1つの理由は、香港でお金持ちならいつも英語の裁判、外国人弁護士を選ぶから。なぜなら、イメージ的に英語の裁判は高級、英国人弁護士の起用も高級と思われているのです。これは植民地の文化です。典型的香港人なら、当然英国式に憧れます。だから外国人検事が出てこなくても、被告が自発的に外国人弁護士を起用し、英語の裁判を選ぶという大金持ち、有名人が結構います。そのほか、香港人の弁護士を雇ったのに英語の裁判を選ぶ被告もいます。しかし曽元長官のように外国人弁護士にどういう風に英語を使うとか要求する香港人の被告はいないと思います。


報道は被告には不利

 ところが残念なことに、曽元長官の努力は役に立たないと思います。根本的な問題は、陪審団の香港人がどこまで英語や法律の専門用語がわかるかということなのです。英語裁判で同時通訳が付くのは被告だけ。陪審団には通訳の援助はなし。陪審員の選択条件は決まっているから、みんな理論的には英語がわかると思われているけれど、同じ高い学歴があっても人によっては卒業したのは昔かもしれないし、学校での英語の成績がどこまで優秀かもわかりません。いつも99%は広東語を使っている香港社会で陪審員になった香港人が、法廷で外国人弁護士や香港弁護士の話す英語をどこまで理解できるか? 裁判官が陪審団に指導する英語と法律的な専門用語をどこまで理解できるか?

 法科の大学生だってなかなか英語や法的な専門用語でわからない部分があるから、一般人の陪審員がどこまで裁判の内容を理解できるか、簡単に想像できますね。英語の陳述、弁護発言が完全にわからないとしたら、陪審員に一番影響するのは当日のテレビの報道です。つまり、被告に不利な報道です! もちろん裁判官は陪審員に、報道には一切影響されないようにと言いますが、人間ですから裁判官の忠告に完璧に従うことができるかどうか…。英語の内容が100%わからないのか、80%なのかそれとも50%なのか、それ次第で被告に対する印象が好感になるのか悪感になるのか決まるでしょう。

 広東語の裁判にも問題があります。年配の優秀な弁護士の大半は植民地時代に英国留学し英語が得意な人ばかり。一方、若い弁護士は広東語はできたとしても、中国の文化や歴史まで語れるほどの中国語レベルを持つとは限りません。被告にとって英語の裁判が不利かどうかは分かりません。もし本当に不利、不便なら、どうしてそのようなことが長年続いていても平気なのか? なぜ誰も問題があると言わないのか? それは皆さん自身が想像、判断してください。私のコラムを愛読している人なら、きっとあっという間に正解を出すことが出来るでしょう!

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ケリーのこれも言いたい

 曽元長官の有罪判決は、英国植民地時代の文化に詳しい人にとっては信じられないことです。英国植民地時代は「女皇無罪」といわれ、総督には過失はないという絶対の鉄則があったからです。