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最新号の内容 -20161202 No:1468
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第106回  
人大釋法(人民代表大会の香港基本法解釈)
 

新任議員の宣誓問題
返還後5回目の「伝家の宝刀」


 香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。(立教大学法学部政治学科准教授 倉田徹)

23条の立法再開は大きなリスク

香港政治キーワード解説

全人代の基本法解釈を支持するデモも(写真・瀬崎真知子)

 

北京の「伝家の宝刀」

 今回のキーワードは「人大釋法」です。「人大」とは人民代表大会のことで、日本では通常「人代」と書きます。「釋法」は、法を解釈することを意味します。この言葉は全国人民代表大会常務委員会(全人代常務委)の香港基本法解釈を指します。香港基本法第158条は、香港基本法の解釈権が全人代常務委にあると規定しています。中央政府の管轄事項や、中港関係に関連する事項について香港の裁判所が判断する場合、裁判所は「人大釋法」を要請することが義務づけられています。

 この権限は、北京から見れば「一国二制度」の「一国」を担保するための、重要な規定であると言えるでしょう。しかし、社会主義国家の立法機関にあたる全人代常務委が基本法をみだりに解釈すれば、コモンローの伝統を受け継ぐ香港法の安定性を損ねる恐れがあります。司法の独立が失われれば、民主・自由・人権など、「二制度」を特徴づける要因への大きな脅威となりますし、司法が政治的意図で歪曲されると判断されれば、香港そのものの信頼性や存在意義が疑われる事態にもなりかねません。したがって、曽 成・前立法会主席も、中央政府はやむを得ない状況にならない限り、「人大釋法」を行うことはないと述べています。

 筆者も今回のキーワードを選ぶ際、100回を超える本連載で過去に「人大釋法」に触れていなかったことに気づき、自分でも少し驚きました。特に返還後初の、新移民の居留権裁判に関する「人大釋法」(1999年)や、民主化の進め方について規定を行った2回目の「人大釋法」(2004年)は大ニュースとなり、激しい論争を招いていたからです。しかし、2008年の本連載スタート後では、「人大釋法」は2011年の、コンゴ共和国の債務に対する裁判の管轄権が香港の裁判所にないことを確認したという、技術的かつ論争性の低いもの一回限りしかなかったのです。それだけ、「人大釋法」はいわば「伝家の宝刀」として、慎重に使われてきたと言えるでしょう。

 

最優先とされた独立阻止

 その宝刀を、11月7日、全人代常務委は抜きました。返還後5回目の基本法解釈は、新任立法会議員の宣誓問題について行われたものでした。

 1012日、9月の選挙で選ばれた第6期立法会が初の本会議を行い、議員が順に就任の宣誓を行いました。近年は急進民主派の議員がスローガンを叫ぶなどのパフォーマンスの場ともなっていたこの宣誓において、今年はあまりにも奇抜な宣誓を行い、宣誓を無効とされる者が現れました。中でも物議を醸したのは、「香港は中国ではない」と書かれた布を持ち込んだ青年新政の梁頌恒・游禎両議員でした。香港独立派の主張を議場で展開したことに、中央政府だけでなく、香港の親政府派も激しく反発しました。新任の梁君彦・立法会主席は、宣誓を無効とされた者には日を改めてやり直しをさせようとしましたが、梁振英・行政長官は宣誓が無効とされた2名はすでに失職しているとして、宣誓のやり直しを差し止めるよう、高等法院に司法審査を求めたのです。

 「China」を差別語の「支那」に近い発音で宣誓した游 禎・議員の行為は、決して香港において多数派に支持されるものではありませんでしたが、立法会の宣誓という行為を行政の長が司法審査で覆そうとした行為もまた、司法の独立への脅威として物議を醸しました。しかし、結審を待たずに北京は、文言を変えるような不誠実な宣誓は無効であり、やり直しは認めないなどとする「人大釋法」の内容を、11月7日に発表したのです。

 中央政府はかねてから「香港独立を主張する者は立法会に入れない」との姿勢であり、選挙前には本土民主前線の梁天 氏らの出馬資格取り消しという措置もとられました。今回の措置も、「独立阻止」を最優先にする北京の姿勢の表れです。


独立阻止の最終兵器は「人大釋法」ではない

 しかし、「人大釋法」によって、香港独立の動きを根絶できるでしょうか。

 まず確認すべきは、「人大釋法」イコール2名の資格喪失ではないという点です。「人大釋法」がなされた後、判決を出すのは香港の裁判所です。梁頌恒・游  禎両議員は最終的に資格を失うと多くの者が予想しますが、裁判所が異なる判断を下すかもしれません。司法界が発動した「人大釋法」への抗議デモの参加者は、同種のデモとして過去最多になりました。裁判に関わるのはそういった香港の司法界の人たちです。

 他方、中央政府駐香港連絡弁公室(中連弁)の王振民法律部長は、正しく宣誓しなかった者が15名にのぼると発言しており、資格喪失が2名に留まらない可能性もまた考えられます。15名が誰を指すかは明確ではありませんが、なかでも12分かけて1文字ずつ宣誓文を読んだ劉小麗・議員の議員資格が有効か否かは、すでに別の裁判で争われています。

 同時に、「本土派」支持者は反発を強めており、「人大釋法」前日の反対デモは、中連弁前での衝突に発展しました。立法会から独立派を排除しても、むしろ独立の主張が議会の外でさらに急進化する可能性もあります。

 本当の意味で独立を阻止するにはどうするか、中央政府の最終兵器は「人大釋法」ではなく、治安立法「23条立法」でしょう。梁振英行政長官は、香港独立の論争によって、中央政府は23条立法の現実的意義を見いだしたであろうと述べています。中央政府内部では、独立を主張する者に刑事罰が与えられないことに不満があるとも言われます。2003年の「50万人デモ」の後に廃案となって以来、棚上げとなっている立法作業が再開されれば、それは「独立派」、「本土派」、「自決派」などの新しい政治的主張を行う人にとって、直接の脅威となるでしょう。社会の反発も、「人大釋法」の比ではないはずです。

 そのようなリスクと引き替えにでも、中央政府が「独立阻止」に出るとすれば、今後数年の香港政治はますます不安定なものとなることは避けがたいでしょう。筆者のこのような憂慮が、杞憂に終われば良いのですが。

(このシリーズは月1回掲載します)

 

筆者・倉田徹

立教大学法学部政治学科准教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、03年5月〜06年3月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞