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最新号の内容 -20161021 No:1465
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第36回
ディスクジョッキー

 ひと口に「仕事人」と言ってもその肩書や業務内容はさまざま。そして香港にはこの土地や文化ならではの仕事がたくさんある。そんな専門分野で活躍する人たちはどのように仕事をしているのだろう? 各業界で活躍するプロフェッショナルたちに話を聞く。
(取材・武田信晃/月1回掲載/写真提供・Gaby Endoさん)


私らしい曲で皆を楽しませたい

 8月にリオデジャネイロ五輪が開催されたが、ブラジルと言えば日系移民が現地社会に深く根付いた国だ。香港でDJをしているGaby Endoさんは父親が日系2世、母親がブラジル人の第3世代のハーフだ。彼女の容姿は、時にはアジア系の顔、時にはポルトガル系の顔を見せる。実は最初はモデルとしてキャリアを始めた。「細くて背が高かったので、周りからモデルをやりなさいと言われていました。ただ、私は小さいころ日本人のようにシャイだったので、モデルになることは一切考えていませんでした」

 そんなある時、アジア系の人を対象にしたコンテストが開催され、応募することに。その写真を見たタイのモデル事務所から連絡があり、バンコクに呼ばれた。彼女が16歳の時だった。「当時14歳だった妹と一緒にバンコクに住むことを決断しました(妹もモデルとしてロンドンで活動中)。父親は全面的にサポートしてくれましたし、事務所も化粧の仕方や歩き方などモデルに必要なすべてを教えてくれました」

モデル出身なだけに見事なポーズ(筆者撮影)

 モデルとしての香港での活動は2005年からだ。「最初はタイに比べると人が冷たく感じられたのですが、その後いろいろな出会いに恵まれて仕事もうまくいくようになり、今ではここが私の拠点になりました」

 香港で活動中も1年間ニューヨークに住むなど世界で活躍してきたが、なぜDJになろうと考えたのか? 「香港のクラブシーンは画一的だと感じていました。そんな時に訪れたニューヨークは多様なクラブがあり、香港でもそれを実現したいと思ったのです」。早速、彼女はイベント実現に向けて動き出し、成功させた。DJはそのイベントに出演したDJのやり方を見よう見まねで覚え、お遊び感覚で始めた。そして彼女のDJとしての才能を聞きつけたクラブ関係者からイベントに呼ばれるようになった。シャイな一面を持つ彼女がDJとして一歩踏み出す勇気が持てたのは「モデルとしての経験もあるからかもしれませんが、DJ用の衣装を着て、化粧をして、サングラスをかけると、『エンタメ用』のスイッチが入るのです。その時は、もう1人の自分です。これは明るいブラジル人の血なのでしょう」と語る。

独学でDJのやり方を勉強した

彼女の選曲で盛り上がる人々

 「パソコンの中には1万曲くらい入っていて、DJをするイベントのコンセプトに合った曲を数百曲選びます。この作業が大変です。客の反応を見て曲の変更など柔軟に対応しなければいけないので、バックアップの曲も用意します。客の好みに合わせ過ぎてもいけないし、私のスタイルであるテクノとハウスミュージックとのバランスもとらなければなりません。それなりの練習と経験は必要なんです」

 DJとしてのスケジュールが今後もいっぱいだ。「いつも新しい曲を探しています。もっと自分らしさを出すべく、自分の曲を作るべく、ゆっくりですが勉強も始めました。ブラジルのテーストを入れた私らしい曲で、いつか皆さんを楽しませることができればと思っています」と飛び切りの笑顔を見せてくれた。

モデルとしてのGabyさん