日本フィルハーモニー交響楽団
|
香港公演当日に香港大会堂でオーケストラと共にリハーサルを行ったラザレフ氏(2枚とも筆者撮影) |
——香港公演に先立ち東京で開催された演奏会には、東日本大震災当日の公演に77人が、翌日のマチネーコンサートに700数十人の観客が来場したと聞いています。
大変素晴らしく、また私たちにとって大切な演奏会でした。予期できない怖い経験をしましたが、今回に限らず毎回コンサート本番に向けて準備を十分に行っていましたし、その結果をお披露目する機会が必要だったのです。実際に成果が表れた素晴らしい演奏会になりました。
また観客も非常に良い反応をしてくれました。指揮台からも私の気持ちがよく伝わっていたと思います。この公演を通じて私たちをより近づけてくれたと思います。オーケストラ、客席、私のみんなが家族になれたような気がしました。
——香港公演についてお聞かせください
震災直後のコンサートから出発まで大変限られた時間しかありませんでした。交通手段が寸断されるなど、非常に厳しい環境でしたが、日フィル事務局の方々や皆さんのご尽力で無事香港に来ることが出来ました。
私は地震の経験がほとんどありません。発生時は怖いというよりも、自然を前にして自分が非常に無力に感じました。震災から1週間たちますが、いまだに足元がおぼつかない感覚があります。
——震災直後、香港では「果たして本当に日フィルは来るのだろうか?」という声が聞かれました。主催者が確定を発表すると、驚きと賞賛の声に変わりました。
それはもっともだと思います。先ほどもお話ししましたが、強い組織力がなければ、この香港公演は実現できなかったかと思います。
——香港では数年前にSARSが発生し、演奏会などの催しが取り消されました。そして久々に行われた香港フィルの演奏会では観客がホールの半分程度しか入りませんでしたが、拍手は3倍ぐらいでした。
東京の定期公演でも同じことが起こりました。(楽団員95人に対して)77人の素晴らしい拍手に迎えられました。私としては決して忘れることの出来ない演奏会です。
——今回の曲目を選んだ理由は?
オーケストラ側のいくつかの提案の中から選択しました。日本のオーケストラ演奏ですので、芥川也寸志さんの『交響管弦楽のための音楽』を選びました。彼はロシアの作曲家チェレプニンの孫弟子ですが、彼のこの作品を見ると非常にクラシックなオーケストレーションで、さまざまな性格がスコアから出てきます。
プロコフィエフの交響曲は1番や5番に比べてあまり演奏される機会がないからこそ、7番を選びました。日フィルはプロコフィエフの交響曲チクルスを行っており、6番の演奏(今年6月)でチクルスを終えます。つまり日フィルとしてはプロコフィエフの交響曲を演奏する状態が整っているのです。香港公演では実は3番と4番も候補に挙がりましたが、最終的に7番を演奏することにしました。
——今年39回目を迎える香港芸術節ですが、今まで日本のオーケストラは1973年に新日本フィル(小澤征爾指揮)、2002年にNHK交響楽団(デュトワ指揮)が招聘されただけです。
今日本で日フィルが一番ですから、招聘されるのは当然でしょう。そして日フィルは技術力の高い素晴らしいオーケストラですよ! また今回共演した幸田浩子さんは素晴らしい歌手ですね。彼女のロシア音楽への理解や演奏方法は、何しろモスクワ音楽院出身の私が太鼓判を押すくらいですから。日フィルは日本の誇りですが、幸田さんのような優れた歌手と共演するのは日フィルがダイヤモンドを付けた王冠で登場するようなものです。
——マエストロは香港フィルとは2005年と2010年の2度共演し、観客はもとよりメンバーからも大変に人気があり、また共演を望む声があります。香港フィルの音楽監督のエド・デ・ワールトが2011/2012年のシーズンで退任するため後任の人選に注目が集まり、新聞によるとマエストロも候補者の一人だそうですが。
ありがとうございます。今まで自分で音楽監督に立候補したことはありません。さまざまなオーケストラの音楽監督の候補に挙がったことはありますが。香港フィルとは2012年5月に共演予定です。
ソロ・コンサートマスターの扇谷泰朋氏から一言:「震災直後に家族や大切な人を日本に残して香港に旅立ったことはメンバー全員が不安でした。しかし音楽をお届けするのがわれわれプロがなすべきこと。コンサートでは音楽にすべてを集中して演奏をしますが、何か大きなものを抱えているのは紛れもない事実です」
(取材協力・日本フィルハーモニー交響楽団、香港芸術節協会、筆者ブログ:http://battenhongkong.blog.shinobi.jp/)
|